2011-01-01から1年間の記事一覧

23 「思い出に生きる人、まだ待っている人」

「ノアの子」 エリック=エマニュエル・シュミット カトリックの神父がユダヤ人の子どもたちをナチスの手から守り抜こうとします。神父は子どもたちがユダヤ人であることをまわりに知られないように、教会のミサに連れて行くなどしますが、それと並行して、…

17 「近寄って、座って」 

ルカによる福音書10章には、「善いサマリア人」のたとえ話があり、それに続いて、マルタとマリアのエピソードが載っています。この二つの話には何かつながりがあるのでしょうか。 「善いサマリア人」のたとえ話では、「それを実行しなさい」(28節)、あるいは…

22 「どんな的外れの仮説でも、定説の鸚鵡返しよりはよっぽど価値がある!」

「人が共に生きる条件 説教・奨励集」 並木浩一 「そこでヨブは、ヤハウェに応答して言った。まことに、私は小さい者です。あなたに何と返答できましょう、わたしはわが手を口に置くだけです。わたしは一度語りましたが、答えることはできません。二度語りま…

21 「この病気の人は人格発展を遂げる」

「統合失調症とのつきあい方 闘わないことのすすめ」 蟻塚亮二 統合失調症患者さんは世の中の百人に一人くらいだと言われることがあります。わたしの経験を振り返って、キリスト教会では十人に一人くらいのような気がしています。やはり、病気にかかわる諸々…

20 「神を判断するボクの言い訳」

「ふしぎなキリスト教 日本人の神様とGODは何が違うか?」 橋爪大三郎×大澤真幸 この本には「誤読ノート17」でもワンポイント触れましたが、あと三点挙げておきます。 「言葉はふつう、誰かが誰かに話すものなので、人間同士の関係のなかで相対化されてしま…

19 「あなたの父なしに」

「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その​一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることは​ない」(マタイ10:29)、新共同訳はこう訳しますが、岩波は​「あなたの父なしに地上に落ちることはない」としています。「父の…

18 「弱肉強食ではなく」

ヨブ記に、動物の食物連鎖など自然界が弱肉強食の掟に支配されて​いることが描かれていますが、並木浩一さん(「人が共に生きる条​件 説教・奨励集」、新教出版社)によれば、これは、間接的に、​人間世界の掟=律法の大切さを示しているということです。自…

17 「聖書の奥深さ」

(イエスの生と死という)「一番肝心なことについて、複数の福音書という形で微妙な不確定性があって、そういう立場の違いをはじめから認めているようなところが、キリスト教の奥深さだと思うんですね」(「ふしぎなキリスト教」における大澤真幸さんの発言…

16 「ゆるめられた人なのに」 

「罪深い女なのに」(ルカ7:39)。ファリサイ派のシモンのこの視線は、この女性の全身を硬直させたことでしょう。「こいつはこんなやつなのに」「おかしいやつなのに」「わるいやつなのに」「だめなやつなのに」。 けれども、イエスは違いました。「この人の…

16 「無き者とされた人からの呼びかけ」

「ヘブライ的脱在論 アウシュヴィッツから他者との共生へ」 宮本久雄 意味不明のタイトルだ。ヘンタイだ。「今の自分の立場、持ち物に固執しない。つねにあたらしくなる。違う姿になる。違う者と和して同ぜずに生きる」と誤訳しておこう。 ぼくたちは「ぼく…

15 聖書原理主義の一面

「福音と世界 2011年3月号」のある記事で、洗礼を受けていない人にも開かれた聖餐式を行っている牧師を免職にする側の根底には「聖書を字義通りに読む聖書原理主義」があると述べられ、はんたいに、その牧師を支持する側を歴史的批判的聖書研究と結び付ける…

14 「『最後から一歩手前の真剣さと怒り』」

もうこれしかない、というところまで考え抜かなければならない。しかし、それを絶対としてはならない。それは絶対ではない。 一歩手前にとどまらなければならない。一歩手前であることをわきまえなければならない。しかし、一歩手前に迫るまで考え抜かなくて…

13 「読みの降臨」

「イエスの父はいつ死んだか」 佐藤研 先日のサッカー決勝戦、延長戦でアメリカに一点リードされた時は、「二点、降臨させてください」とFacebookに書き込んでやろう!、という衝動に駆られました。自分や人間の力では、もはやどうしようもなくて、何かが降…

15 「悔い改めの話しなの」

「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(ルカ15:7)。これは、ルカによる福音書15:4-6の「たとえ話」につけられた「解説」のような言葉です。イエスは4節…

12 「九条グランパたち」

「日本語教室」 井上ひさし 井上ひさしさんが死んで一年余り、未完のものも含まれるいくつかの小説、それから、インタビューや講演を起こしたものの出版が続きます。この本は上智大学での十年前の連続講演を文字にしています。 「が」と「は」の違い、音節数…

14 「無理にでも連れて」 

「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ」(ルカ14:23)。ここでいう人々とは「貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人」(14:21)のことでしょう。 目の見えない人を無理にでも連れていく。ここ…

13 「バラバラか様々か」

「バラバラか様々か」 使徒言行録2章に、イエスの弟子たちが集まっていると、激しい風が吹き、炎や舌のような形をしたものが一人一人の頭上にあらわれ、彼らはさまざまな言語を語るようになった、とあります。 この記事に基づいて、キリスト教会では聖霊降…

11 「傾聴、そして」

「カウンセリング入門」 佐治守夫著 ひたすら人の話にじっと耳を傾ける、自分の思いではなくその人の声に集中する、これは、習得できないなりにも、傾聴に関する何冊かの本に時おり目を通しながら、ここ二十年間、意識の中に保とうとしてきた姿勢でしたが、…

12 「弟子にするのではなく、友になる」

マタイ福音書の最後の数節は、イエスを信じない人に教えを伝え、洗礼をほどこし、信者とすることを、イエス自らが命じているように読まれることが多いと思います。けれども、はたして、そのような読みでいいのでしょうか。すくなくとも、そのような読みだけ…

10 「金と土地の使い方」

「黄金の騎士団」 井上ひさし 親とわかれて乳児のころから「聖母の騎士園」で生きてきた子どもたちが、数百億円のお金をいのちがけで手に入れ、買おうとしたものは、とある村でした。彼らはそこに日本版ベンポスタを築こうとしていたのです。 つぶれかかりそ…

「星の王子さま」の「原作者の遺族公認」のコミック、池澤夏樹訳を読みました。一〜二年前に河野万里子訳を読んだのに、王の星あたりに来るまで、ストーリーを思いだせませんでした。 よく言われていることなのかも知れませんが、王や大物気取りの男、地理学…

11 「ちっぽけな実証よりも、言葉が生む可能性を」

ときおり会えばあたたかで、ふだんはやや離れたところで見守っていてくれるように感じている人が、近くにやってきて24時間すぐそばにいるようになれば、だんだんと冷たくなり、わたしたちの一挙手一投足を支配し始めるかもしれません。 自称、他称による「再…

8 「人さまに働きかけるときにテメーに用いるべき技術」

「対人援助の技法」(尾崎新) タイトルからすれば、この本は援助する相手に対して用いるテクニックを伝えようとしていると思われるかもしれませんが、そうではありません。この本で語られているものは、「援助者が自分にどのように関心を向けるか、自分の感…

10 「顔があるから」

三週後、仙台の知人に会いに行く予定にしています。まだ一度も被災者を訪ねていないし、被災地に赴いてもいませんが、時機を見て被災地にと、思ってきました。 なぜ、まだ行っていないのでしょうか。自動車を運転しないこと、三〜四泊以上というボランティア…

7 「メンタルとソーシャル」

「うつ病を体験した精神科医の処方せん」(蟻塚亮二) 「いじめの直し方」(内藤朝雄、荻上チキ) 人がうつ病になるのは、その人の個人的な性格だけによるのではなく、その人をとりまく環境も大きく影響する、と蟻塚さんは言います。どんな性格の人でも、長…

9 「薄皮をそっとめくる」 

人々がイエスに「そのパンをいつもわたしたちにください」(ヨハネ6:34)と言うと、イエスは「わたしが命のパンである」(6:35)と答えました。人々が求めたものはパンという物質(あるいは方法、処方箋、秘薬、知恵・・・)だったのに、イエスは物質ではな…

6 「未熟を自覚している者が世話役に」

井上ひさし 「グロウブ号の冒険」 1980年代末に井上ひさしが雑誌に連載していた小説が未完のまま、逝去後一年経ったこの四月、単行本として刊行されました。 主人公が流れ着いたのは名前のない島。名前だけでなく、保存食もなく、最終的な権威付けをする者、…

8 「他者の前に体をおく」 

十字架の死後、弟子たちの真ん中にあらわれたイエスは、自分は亡霊などではない、手があり足がある、肉があり骨があると自らの体を示し、焼き魚一切れを食べた、とルカは語っています(24:36-43)。 亡霊ではない、体もしっかりある、これはどういう意味でし…

5 相対的な表象であっても、そこに没入するまじめさ

「イエス 時代・生涯・思想」(J. ロロフ、教文館) まもなく神がこの世界を治めてくださる、いや、それはもう始まっている、しかも、自分という人間の言葉や行動を通して。イエスはこう確信していたと、この書の著者ロロフは述べているのだと思います。 け…

7 「ともに歩いている! ということは、復活したんだ! 復活の逆算」

イエスが今わたしとともに歩いていてくれる、と感じるのと、イエスの死体が医学的に蘇生した、と確信するのでは、どちらがやさしいでしょうか。おそらく、前者ではないでしょうか。わたしたちは、死んだ誰かが生き返ったということを論理的に信じられなくて…