2007-01-01から1年間の記事一覧
わたしにとって、神やイエスや聖書の言葉を信じることは、聖書を読んで心地よい、ということと深く結びついています。聖書の言葉の心地よさは、歴史的事実の持つ説得力でもなく、たんに思想の魅力でもなく、読んでいるわたしの中に今満ちる、「言葉」の心地…
「信じる」とはどういうことでしょうか。この項では「神の存在を信じる」「神を信頼する」とは別の意味を考えてみたいと思います。さきほど「価値観を共有する」と述べました。聖書にはいくつかの価値観があります。その中には、イスラエルに敵対するアマレ…
ここまで、「信じる者は救われる」という言葉が「法則」「命題的真理」としては成立しにくいことを述べてきました。 では、そもそも「信じる」とはどのようなことだと一般的には考えられているでしょうか。長谷川宏さんが「高校生のための哲学入門」(ちくま…
「神の意志を束縛してはならない」「神を脅してはならない」「神に決断を押しつけてはならない」と聖書はある箇所で言っています。もう少し正確に述べますと、日本聖書協会発行の新共同訳聖書の「旧約聖書続編」にユディト記という歴史フィクションがあり、…
「信じる者は救われる」と言いますが、では、いったいどれだけ信じれば救われるのでしょうか。100%でしょうか。90%でしょうか。それともたった1%でもよいのでしょうか。じつは、このような問いは、「信じる者は救われる」という言葉をどんな時にでもあ…
「信じる者は救われる」と言います。キリスト教やその他たいていの宗教の信徒は、そのように思っていることでしょう。あるいは、そう期待しているでしょう。「救われたい」という願いがあり、そのために「信じよう」としている人が多いのではないでしょうか…
わたしはキリスト教の牧師です。キリスト教徒です。キリスト教は、じつは一枚岩ではなく、おおまかにはカトリックとプロテスタントと正教会にわかれます。カトリックの中にも、様々な修道会がありますし、また、地域や時代や個人によっていろいろな考え方が…