2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧
町の教会の教職を辞めて、今は、広島の山地で農に取り組んで、神学的な営みを続けている友人がある。その友人の主催するZOOMトークで、荒川純太郎さんを拝見した。 名前は知っていた。アジアの農と関わってきた人だと聞いていた。ぼくは農村伝道神学校の非常…
十代のころ、何気なく、テレビの高校野球を観ていると、父が「この桜美林というのはオベリンという人の名前から来ているんだ」と教えてくれたことがある。 五十才前後のことだろうか、桜美林大学の礼拝で説教を、と一度だけ呼んでいただいたことがある。 何…
デニーさんはぼくより一歳上だ。だから、この本に出てくること、とくに音楽シーンは、まったく知らないわけではない。その点は、親しみを覚えながら、興味深く読むことができた。 けれども、戦場とされた沖縄、米軍、ミックスルーツ、沖縄の政治など、ぼくに…
誤読ノート675 「宗教ではなく超越を信じる者たちの学(ことば)」 「世界神学をめざして 信仰と宗教学の対話」(ウィルフレッド・キャントウェル・スミス、2020年、明石書店) 「究極的には、存在する唯一の共同体は、私が真に所属すると知っているもの、つ…
能の登場人物である卒塔婆小町を、カントやボンヘッファーと比べることで、「良心」を考察する力作。 「カントやボンヘッファーの飛躍は、特定の局面における主体性の断念であるのに対して、小町の跳躍は、主体性の行使」(p.144)。 「人間は、常に自らの良心…
キリスト教には4世紀ごろから唱えられている「使徒信条」というものがあります。キリスト教の信仰を簡潔にまとめたものですが、このように結ばれています。 「からだの復活、永遠のいのちを信じます」 若松さんのこの本のタイトルにある「亡き者」は「死者」…
若松英輔さんがこう記している。「チェーホフもまた、「神なき神秘家」と呼ぶにふさわしい人物だった。彼は「神」を語らない。しかし、「世界に遍在する一つの霊魂」(『かもめ』)を信じていた。人間もまた、その霊魂の一部である」(若松英輔、「亡き者たち…
「生きとし生けるもの、つまり衆生はそれぞれ一つひとつの生命体ではない。阿弥陀仏として一つの大きな生命体である」(p.31)。 葉っぱのフレディもそれ一枚の生命体ではない。楓という生命体の現れである。いや、楓は阿弥陀仏、つまり、世界大の生命体の比喩…
山我哲雄さんの旧約論文集。しかし、そんなに難しくもない。 「旧約聖書における自然と人間」「旧約聖書とユダヤ教における食物規定」「旧約聖書における「平和(シャーローム)」の概念」「ナタン預言の成立」「申命記史家(たち)の王朝神学」の五編が収め…