2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

16 「ゆるめられた人なのに」 

「罪深い女なのに」(ルカ7:39)。ファリサイ派のシモンのこの視線は、この女性の全身を硬直させたことでしょう。「こいつはこんなやつなのに」「おかしいやつなのに」「わるいやつなのに」「だめなやつなのに」。 けれども、イエスは違いました。「この人の…

16 「無き者とされた人からの呼びかけ」

「ヘブライ的脱在論 アウシュヴィッツから他者との共生へ」 宮本久雄 意味不明のタイトルだ。ヘンタイだ。「今の自分の立場、持ち物に固執しない。つねにあたらしくなる。違う姿になる。違う者と和して同ぜずに生きる」と誤訳しておこう。 ぼくたちは「ぼく…

15 聖書原理主義の一面

「福音と世界 2011年3月号」のある記事で、洗礼を受けていない人にも開かれた聖餐式を行っている牧師を免職にする側の根底には「聖書を字義通りに読む聖書原理主義」があると述べられ、はんたいに、その牧師を支持する側を歴史的批判的聖書研究と結び付ける…

14 「『最後から一歩手前の真剣さと怒り』」

もうこれしかない、というところまで考え抜かなければならない。しかし、それを絶対としてはならない。それは絶対ではない。 一歩手前にとどまらなければならない。一歩手前であることをわきまえなければならない。しかし、一歩手前に迫るまで考え抜かなくて…

13 「読みの降臨」

「イエスの父はいつ死んだか」 佐藤研 先日のサッカー決勝戦、延長戦でアメリカに一点リードされた時は、「二点、降臨させてください」とFacebookに書き込んでやろう!、という衝動に駆られました。自分や人間の力では、もはやどうしようもなくて、何かが降…

15 「悔い改めの話しなの」

「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(ルカ15:7)。これは、ルカによる福音書15:4-6の「たとえ話」につけられた「解説」のような言葉です。イエスは4節…