「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない」(マタイ10:29)、新共同訳はこう訳しますが、岩波は「あなたの父なしに地上に落ちることはない」としています。
「父のお許しがなければ」という訳について、並木浩一さんは(「人が共に生きる条件 説教・奨励集」、新教出版社)、「雀が地に落ちるのを神がそのつど許可するとなれば、その神の振る舞いは絶対的な君主のよう」と述べ、さらに、人災や自然災害で死んだ人について「この人びとは命を落としてもよいと、神が一人一人の生死に許可を与えたのでしょうか」と疑問を呈しています。
ところが、並木さんは岩波訳から、「神は高みから雀が地上に落ちるのを許可する方ではありません。神ご自身が地に落ちる雀と共におられるのです」「福音の意味は、神が弱い生物の運命を心に留めたもうことにあるのです」というメッセージを発しておられます。この弱い生物にや地に落ちる雀にわたしたちが含まれることは言うまでもありません。