キリスト教批評

 「臨床的柔軟さ」

「対人援助の技法」(尾崎新)という本によれば、唯一の援助法や援助観にしがみつくことで、援助者は自分の「有能感」を保とうとする、ということです。 しかし、本当に大事なことは、ひとつの技法や価値観に縛られない、ゆとりをもった自由な態度、つまり、…

 免職より創造的な対話を

日本基督教団の「教規」の「第6章 信徒」の項を読めば、たしかに「洗礼を受けた者だけが聖餐式に参加できる」という解釈は不可能ではないでしょう。また、キリスト教の歴史において、洗礼を受けてから聖餐に招かれる、という考えが主流であったことも、この…

(9)価値を描く

本を読んだり、話を聞いたり、文を書いたり、話をしたりするごとに、もっと頭が良ければ、と思わないではいられません。書いてあること、語られていることがわからないことが良くあります。その段落を中心に一、二頁読みなおしてみてもわからない、何度読ん…

[キリスト教批評](8) いやし

苦しくて仕方がありませんが、どうしたらいいのか教えてください。お会いしたことのない方から電話でこのような相談を受けました。心の病気だということでした。臨床心理学の初歩をかじり、生半可に身に付けた方法、というより、たんなる癖ですが、こういう…

(7) キリスト教の幅

聖書を信じる、神はただ一人と信じる、イエスを信じる。新しい宗教をおこしたり、自分ひとりの信念の枠の中にとどまったりするのなら別ですが、既存のキリスト教会という共同体の中でキリスト教を信じる、あるいは、信じようとする時、これらみっつのことを…

(6) 愛に伴う苦痛を無視しない

キリスト教批評(6) 愛に伴う苦痛を無視しない 孤独で誰かを求めているようにみえる人に寄り添おう、寄り添い続けよう、としてきたのに、その人との関係に傷つけられる、もっとはっきりと思いを述べれば、その人に傷つけられることがあります。そう感じる…

キリスト教批評(5) さまざまな救い

救いとはどのようなことでしょうか。 肉体の死とともにこの世での生は終わるが、来世において神のもとで至福な意識をいつまでも持ち続けること、いわゆる「天国に行く」ということ。苦しいことや痛むことがあっても、心が乱れることなく、いつも平安でいられ…

(4) 163年か150年か

キリスト教批評(4) 163年か150年か 日本にキリスト教が伝来したのは1549年とされています。この年、ザビエルが鹿児島に来てカトリックの宣教を始めました。さらに、京都に行き、日本全国で布教する許可を得ようとしますが、天皇に会うことができず、目的…

(3) たいせつな聖餐

キリスト教批評(3) たいせつな聖餐 洗礼を受けていない人をも聖餐式に歓迎する立場と、聖餐式は受洗者に限定する立場の間では、キリスト教雑誌の誌面などで、聖書やキリスト教の歴史に基づいてそれぞれの考え方を主張したり、反論したりということはあり…

キリスト教批評(2) 聖餐式

キリスト教会の多くは、洗礼を受けた人だけが聖餐式のパンとぶどう酒(あるいはぶどうジュース)を受け取ることができるとしています。けれども、聖餐式を洗礼を受けた人だけに限っていない教会もあります。同じキリスト教といっても、前者のような教会ばか…

(1)前口上 090522

文字を用いて意見を述べあう活動がもっと盛んになることが今の日本のキリスト教には求められているのではないでしょうか。キリスト教内の新聞や雑誌には、建設的な議論の機運を高め、場を提供し、流れを創り出してほしいと思います。また、キリスト教の外か…