2024-01-01から1年間の記事一覧
歌舞伎町でバーを営んだ神父ということで、キリスト教を柔軟にとらえ、それに基づく柔軟な宣教のあり方を期待して、読むことにしました。 教会の形式についてはたしかに柔軟ですが、「キリスト教こそが正しい」と言わんばかりの硬直した考えが本書の最初の部…
遠藤周作の友、若松英輔の師である井上洋治神父の代表的著作です。「主体―客体の関係を超えた(あるいは根拠づけているといった方がもっと適切かもしれませんが)流動するいのちの世界」(p.17) 著者にとっては、これが、イエスの語った「神の国」なのです。 …
わたしたちは、どういうふうにして、差別発言、差別行動を起こすのでしょうか。どういうふうにして、人を見下す思考や感情が生じるのでしょうか。5歳の子どもの入学を小学校が認めないのは、差別ではなく区別である、と一般には考えられるでしょう。しかし、…
上智大学の聖書講座の2023年のテーマは「宗教と終末論」で、その講演をもとに、本書には、大貫隆さんの「神の国はあなたがたの〈内面に〉」、福嶋陽さんの「破局の中の希望」、遠藤勝信さんの「創造と終末」が収められています。大貫さんの論考はルカ17:21…
「批判的聖書学」とは、聖書を非難したり反論したりする学ではなく、批判とは合理的思考のことであって、これはそれに基づいた「聖書学」のことです。これによれば、天地が六日間で創造されたという創世記の記述は「事実」ではない、ということになります。…
書名に「美は人間を救いうるのか」という問いがありますが、若松さんは「美とは壮麗な事物に宿る装いのようなものではなく、すべてのものを美しくするような根源的なはたらきの呼び名だと柳は信じている」(p.76)と記しています。 美が「すべてのもの」の「根…
「ヘイトスピーチ」では「在日特権」を「批判」する。ほんとうは「在日特権」などはないし、ヘイトスピーチは「批判」ではなく「誹謗」であるが。ヘイトスピーカーは、著者によれば、「差別の撤廃と人権の実現を求め、声をあげるマイノリティの行為じたいを…
以前よりは緑が多い地域に(と言っても政令指定都市内だが)五年前に転居してから、ぼくは、ちょっとした木立などを意識的に散歩するようにしてきた。手頃に「自然」に触れようというわけだ。同時期、子どもが家を出て、一人暮らしを始めた。そして、ぼくが…
イエスの譬えや譬え話は、どのように言い表されるだろうか。著者の案内によれば・・・ イエスの譬えはユダヤ的文学伝統に根ざす(ブルトマン)。 史的イエスの譬え話の中心主題は神の支配、喜ばしい救いの時の到来である(エレミアス)。 イエスの譬えには「…
柳宗悦は「美術評論家、宗教哲学者、思想家」と評されますが、これら三つの顔を持っていたのではありません。柳にとって、美の前に立つことと、世界の根源なるものに触れることと、ものを思うことは、ひとつのことなのです。 朝鮮民族美術館や日本民芸館での…
本書は、WCC(世界キリスト教協議会)関連の文書を中心に、セクシュアリティをめぐる議論の大まかな流れを示しています。人間社会では「性は男性と女性に二分され、異性愛が『正常』であり、それ以外のセクシュアリティ(たとえば、中性、トランスジェンダー…
差別とは何でしょうか。著者は、性別や人種に基づいて人々の間に区別をつけることと、試験の得点やくじ引きやジャンケンで区別することは、どこか違う、と言います。「差別とは、人々の間に何らかの特徴に基づいて区別をつけ、その一方にのみ不利益を与える…
ぼくたちは、イザヤ書ってだいたいどんなことが書かれているのか、知りたいと、なんとなく憧れているのですが、本書で大島先生はそれをとてもわかりやすく述べてくださっています。 ところで、聖書の中心メッセージは、インマヌエル(神は私達と共にいる)、…
「読むと書く」。若松さんの公式ホームページはこう名付けられている。 本書でも、「読むと書く」が、書かれ、読まれる。 ぼくの生活も、本を読み、書くことである。読んだ本の「誤読ノート」を書く。 もうひとつは、聖書を読み、そこから人に語ることを書く…
わたしたち人間はなぜ人を差別するのか、その諸説を知る一環で、この本も手にしてみました。 「人は「自分に似ていて少しだけ違う人」が気になり、場合によってはその人を攻撃して追い出そうとしたり、逆に「そんな人はいないんだ」と否定しようとしたりして…
副題の「できるを科学する」とは、どういうことでしょうか。 「できる」という言葉は、「できる=優れている」というような能力主義に結びつきがちですが、そうではなく、本書では「『できるようになる』という出来事そのものがもつ不気味な面白さや想像を超…
タイトルは「新しい故郷」という意味です。難民の旅が描かれています。アブラハム一族も難民ではなかったか、と言われています。旧約聖書によると、四千年ほど前、アブラハムはチグリス・ユーフラテス河口を出て、川沿いに進み、古代シリア北部、現代のトル…
この本のタイトルを見て、悪質でない差別があるのか、差別というものはそもそも悪質なものなのではないか、と思う人もいるのではないでしょうか。あるいは、区別は悪質ではないが、差別は悪質だ、と考える人もいるでしょう。 けれども、差別という言葉は、「…
2年前に召された教会員の蔵書をご家族が、教会の皆さまに、と持ってきてくださった中にこれを見つけました。 著者は、これは説教集ではないとしています。「ここに収録された文章は、礼拝で語られる説教のように、聖書の解釈や解釈の伝統を厳密に吟味したり…
ぼくもほぼ毎週日曜日「説教」をし、その午後は疲れ気味ですが、月曜日には「起き上がって」、つぎの日曜日を目指して歩き始めます。 そんなわけで、大学の学生や各地の教会で「説教」をしておられる著者から学ぼうと手にしました。「まるで今日、初めて聖書…
巻末で若松英輔さんがつぎのように書いています。 「人は死んでも「死なない」。むしろ、「いのち」として新生することを、詩は私たちにそっと教えてくれる」(p.161)。その「いのち」は、ブッシュ孝子さんの詩の中にすでに表れています。 「あの日以来 私の…
本書には五つの論文が含まれていますが、そのうち、「旧約聖書における自然と人間」「旧約聖書とユダヤ教における食物規定(カシュルート)」「旧約聖書における「平和(シャローム)」の概念」の三つから、大切に思われた点について以下に記します。 (もう…
本書は、オンライン環境での神学教育と学修について論じられています。 その利点として、たとえば、以下のようなことが挙げられています。 「オンライン教育は必然的にある環境を作り出せる。学生の人種やジェンダーや民族や障碍や社会的背景を、その学生が…
たとえば、ある小学校のクラスに、中国籍、韓国籍、日本籍の児童がいたとします。そうすると、最近は「多様性の尊重」ということを言います。それぞれの個性、文化、歴史、言語を大切にしようと。「多文化共生社会を」と。しかし、これだけしか言わないなら…
中井さんについて書いた本は、これ以前に、もう一冊読んだことがある。村澤真保呂さん、村澤和多里さんの「中井久夫との対話: 生命、こころ、世界」(河出書房新社、2018)だ。 (と思ったら、この両・村澤さんによる「異界の歩き方――ガタリ・中井久夫・当事…
聖書、イスラエルの歴史、イエスの生涯、十字架と復活を通して、神は自身を人間に示した。これを特殊啓示と呼びます。 これに対して、普通啓示は、自然啓示、一般啓示とも呼ばれ、神は、自然、(聖書外の)人間や歴史を通しても、自身を示す、という考え方で…
旧約聖書に書かれていることの中で、聖書外資料によって史的事実と判断しうるものは「かなり少ない」。副題にある「ミニマリズム」(最小限主義)とは、こういう立場の歴史研究のことだ。そのような研究者たちによれば、アブラハム、モーセ、ダビデ、ソロモ…
著者はスロヴェニア出身の「現代思想の奇才」と言われる人。名前はよく聞きますが、著書を読んだことはありません。難解と聞いたこともあります。 本書は、新書で、ウクライナ状況を語っているので、すこしは読みやすいかと思って、手にしてみました。おそろ…
ああ、うつくしい本です。 栞の紐のやわらかさ、まぶしさ、輝き、品位に驚きました。 カバー、帯、そして、挿絵が、また、うつくしい。若松さんの言葉が、こんども、うつくしい。ただ、今回は日本経済新聞に連載されていたということがあってか、この本は、…
著者は、内村鑑三、高橋三郎らを批判(批難ではない)し、また、青野太潮、大貫隆を援用しつつ、「すべての人は無条件で(信仰なしでも)救われる、救われるとは、神自身が十字架の上で苦しみつつ、苦しむ者とともにおられることである」ということを述べて…