14 「『最後から一歩手前の真剣さと怒り』」

もうこれしかない、というところまで考え抜かなければならない。しかし、それを絶対としてはならない。それは絶対ではない。

一歩手前にとどまらなければならない。一歩手前であることをわきまえなければならない。しかし、一歩手前に迫るまで考え抜かなくてはならない。

「『絶対的な真剣さと怒りをもってしてではなく、ただ、最後から一歩手前の真剣さと怒り』をもって、《創造の秩序》や《民族性の神学》に対して戦うのだ」(「福音と世界」2011年8月号、p.60)。

宮田光雄さんの「《政治的人間》としてのカール・バルト(下)」の一節。

ナチス・ドイツを正当化するような神学と戦う場合でも、その戦いや自分たちの議論が絶対であるとしてはならない。むろん、それはいい加減なもの、どうでもよいもの、ありあわせのもの、その場の思いつきのもの、などであってはならず、ぎりぎりまで検討され抜かれたものでなければならない。しかし、それは「最後」でも「絶対」でもなく、その一歩手前にとどまるものであることをわきまえなければならない。

絶対正しいとされるAという考え方を、Bという思想で批判しなければならない。しかし、Bこそが正しい、という批判なら、それはAと変わりがない。

日本社会や日本の教会を批判する時、一番陥りやすいわなだ。