20世紀の遺産は崩壊したか

(5) 聖書を判断する私、相対的なものと絶対的なもの

聖書は神の言葉であり、私たちは聖書に「聞く」。しかし、そこには、聖書の言葉を解釈したり、評価したりする自分もいる。神や神の言葉である聖書が無条件に絶対的なものであって、私たちがそれに絶対無条件服従するのではない。たとえば、天地創造者であっ…

(4)私の物語としての聖書

(3)で述べた「信じる」の持つ排他性、強弁を克服するためには、聖書を物語として読むことが良いと思う。しかし、聖書は、私を包み込む「大きな物語」であるばかりでなく、いや、それ以上に、私自身の物語ではなかろうか。端的に言って、預言者たちやイエ…

(3)「信じる」とは何か、聖書は「信じる」対象なのか

ペルー人教会では、時々、日本人のために祈りがなされる。その中には、「まだ、神を知らない日本人に神を知らせてください」という項目が含まれていた。スペイン語や外国人との連帯に関心のある若い日本人会衆に対しても、いつかは、神様を知って、amigos 友…

(2) 私の背景:ペルー、ペルー人教会、教団移籍、「第三世界神学事典」

次に、私の考え方の背景となるいくつかの事柄について述べておきたい。 私はキリスト教徒の家庭に生まれ育った。しかし、それは、信仰という精神作用を継承したということではない。むしろ、日本におけるキリスト教徒という文化という枠組の中に、とりあえず…

(1) 20世紀の遺産は崩壊したか?

2001年9月11日にニューヨーク等で起こった「アメリカ同時多発テロ」、そして、ブッシュ大統領、アメリカ政府、また、マスコミが伝えるアメリカ市民の声、すなわち、「テロリストに対して正義の報復を、正義によるテロの根絶を」、この両者の衝撃は強く、また…