789 「聖書やキリスト教を解凍する」 ・・・「使徒信条を詠む  キリスト教信仰の意味と展望」(阿部仲麻呂、教友社、2021年)

誤読ノート789 「聖書やキリスト教を解凍する」

 

使徒信条を詠む ─キリスト教信仰の意味と展望」(阿部仲麻呂、教友社、2021年)

 

 「私たちの心で「冷凍パック」を温めることで、過去の遺産は新鮮で実り豊かないのちの力に満ちたメッセージを現在化させることになります。私たちには、昔から伝わってきたさまざまな物語やテクストや作品を温めて解凍すること、現在に甦らせることが各時代の真摯な作者から絶えず要請されているのではないでしょうか」(p.416)。

 この言葉の通り、阿部さんは聖書やキリスト教の用語やメッセージを、まさに「温めて解凍」し「現在に甦らせ」てくださいました。

 

 「キリスト教信仰の豊かさを決して損なうことなく正確に把握したうえで平易なメッセージに自在に変換して相手の心を愛情で満たし勇気づける」(p.14)。

 

 以下に、その様子をご紹介いたします。

 

 「使徒信条」=「愛情深い想いに裏打ちされた使徒たちの心の歌」(p.16)

 

 「信仰」=「神との深いつながりのうちで生きてゆく姿勢」(p.25)

 

 「御父」の「いつくしみ」、「御子イエス・キリスト」の「恵み」、「聖霊」の「よろこび」(p.28)

 

 「キリスト者」=「神との関りを取り戻して、愛情深い信頼に満ちた美しい状態にまで成熟されるように招かれていることを自覚して、自らの生き方として意志的に選び取った者」(p.32)

 

 「聖性」=「神との親しさ」(p.43)

 

 「キリスト者が信じている神は、徹底的に相手を優先して大切に育みます。そして、「相手を大切にする神」に対する信頼を深めるのがキリスト者の信仰生活です」(p.53)

 「イエス・キリストは相手を大切にするまなざしによって相手そのものをすなおにまるごと受け容れて、相手の言い分をそのまま聴きとると同時に慈しみ深い言葉をかけつづけ、肩に手を添えて心のぬくもりを伝えます」(p.54)

 

 「イエス・キリストがいのちがけであかしした御父である神は常に相手といっしょにいたい(受肉)と願い・・・自分をかなぐりすてても決して悔いはないという真剣な愛情表現、その圧倒的な愛のエネルギーが聖霊と呼ばれています」(p.54)

 

 「救済」=「神が相手を見放すことがなく、何としても理解しようとして手を差し伸べつづけるわざ」(p.57)

 

 「神化」=「神が人間という相手を大切に思うがゆえに、自分の手の内を全部さらけ出して、惜しみなく分かち合う姿勢をとった(自己捧与)おかげで、人間は神の想いを理解する機会を得て、その寛大なふところへと自らを委ねるようになる」(p.58)

 

 「救い」=「神のいつくしみに支えられて人間一人ひとりがすこやかに活かされて豊かになること」(p.82)

 

 「天地の創造主」=「あらゆるものが神の支えなしには生きてはゆけないことを強調する」表現(p.97)

 

 「神による創造の出来事」=「渾身の愛情をこめる」という稀有なる仕儀(同)

 

 「創造」=「愛情をこめて呼びかけること」(p.98)

 

 「救い」=「相手のすこやかさを心から願って常に支えること」「各人が神からありのままに肯定されて、まわりの人とともに充実した交流を深めることで「いのちの豊かさ」を味わうこと」(p.106)

 

 「御父と御子は、人間を大切にするという意志においてひとつにつながってはたらくのであり、その深い一致をしっかりとつつみこんで活性化させる聖霊も連携しています。このような連携の事態を四世紀の教父たちが理論的に表現したものが「三位一体の神」という神理解」(p.111)

 

 「「人類共同体全体を責任をもって最後まで支える主の力強さ」を物語るのが「私たちの主」という言い回しです」(p.112)

 

 「使徒信条はイエスの人間的な生い立ちを物語るわけではなく、むしろ、「三位一体の神が全人類といかに関わっているのか」を提示しています」(p.127)

 

 「「肉」には「神から離れて生きる傲慢な人間の生き方」という意味があります。一方、「霊」には「神とともに生きる謙虚な人間の生き方」という意味があります。「霊」という言葉は、神の前でへりくだる生き方を示しています。神を選んで、その想いに従って生きる人が「霊の人」なのです」(p.129)

 

 「イエスの死は、しいたげられたすべての人間の絶望の心を生きる徹底的な歩み寄りの出来事であると同時に、すべてをなげうってでも相手を活かす神の犠牲的ないつくしみの顕現でもあると言えましょう」(p.138)

 

 「神の国」(神による王的支配)=「神のいつくしみが広がってゆく状態」(p.140)

 

 「復活」=「ゆるされていると実感することであり、愛情深く受け留められているという安心感」

 

 「復活」=「イエスが常に私たちのそばに寄り添って、一人ひとりを名指しで呼んでくれるという事態」(p.170)

 

 「古代人の感覚では「高いところに行く」のは、神の元へ確実に到達することでしたから、「天に昇る」ことは神とともに至福の時を味わうことに他ならず、いのちの豊かさの状態へと完全に至ること、つまり人生の最終ゴールに到着することです。古代人は口では決して言い表せない神のいつくしみの出来事の深みを何とか形にするべく、昇天という神話的な象徴を創出しました」(p.176)

 

 「御父の右の座に就く」=「御父の想いをあますところなく忠実に実現したがゆえに御父と等しい尊厳をもつ圧倒的な慈愛の持ち主として確かに認定されているという事実を指します」(p.176)

 

 「再臨」=「御子イエス・キリストを遣わしてあらゆる人間を支えるという御父の壮大な救いのわざを責任もって締めくくるのが再臨。御父は一度始めたことを決してほっぽらかすことがありません。最後まで見守り続けます」(p.177)

 

 「「神の裁き」とは、虐げられて落ち込んでいる人の尊厳を回復することに他なりません。つまり、この世の権力者たちの横暴によって切り捨てられているあらゆる人の立場を取り戻す恵み深い公平なとりはからいが「神の裁き」です」(p.180)

 

 「神のみことば」=「神が私たちとともに生きてくださるという恵み深い事実」(p.181)

 

 「聖霊」=「神の愛情深い想い」(p.186)

 

 「聖霊が降る」(聖霊降臨)=「神が全力を尽くして人間のほうへと歩み寄る」(同)

 

 「神の国」=「神のいつくしみが広がる状態」(p.187)

 

 「聖なる教会」=「神との親しさを保って生きるキリスト者の集まり」

 

 「普遍の教会」=「あらゆる相手に対して心を開いて、ともに生きようとする公的な奉仕に徹する集まり」

 

 「自分の十字架を背負う」=「自分のどうにもならないほどの弱さを、すなおに認めて、主に助けを求めて歩みなおすこと」(p.200)

 

 「からだの復活」=「あなたのすべてが決して失われることなく大切にされている」という事実を保証する(p.223)

 

 「永遠のいのち」=「自己中心的で自分のことしか考えられない身勝手な自分が、「相手のことを大切にできるような状態」」(p.230)

 

 「永遠のいのち」=「人間が神と一緒に安らぎを得る状態」

 

 「道・真理・いのち」(ヨハネ14:6)=「道はイエスの生き方、真理とはあらゆるものを存在させる神の恵み、いのちは躍動感あふれる愛の力」(p.233)

 「奇跡」=「人間が神のいつくしみにつつまれた状態」「神の恵みに支えられながらの人間の自己回復の出来事」(p.238)

 

 「永遠のいのち」=「何があってもあなたを棄てない、常にいっしょに歩みつづける」という神の愛情の想い」(p.239)

 

 「塩でありなさい」=「神とともに生きる人間でありなさい」(p.241)

 

 「終末」=「神の愛の完成」「すべてが愛に満ち、ゆるされ、神のやさしさがすべてをおい、つつみこみ、本当の安らぎが実現する」(p.242)

 

 「アーメン」=「神による人間に対する全幅の信頼の表明」(p.254)

 

 「霊性」=「霊的な本性」「神のいつくしみの力が備わっていること」

 

 「啓示」=「神が人間に対して徹底的に自分をさらけ出して体当たりで与え尽くすこと」(p.306)

 

 「信仰」=「どんな状況でも決して諦めることなく、徹底的に神に信頼して前進する人間の態度」(同)

 「イエスは人びとの面前で自らのことを「人の子」と呼ぶことによって「あなたがたと、とことん、ともに生きてゆく」という熱烈な愛情の想いを力説しました。つまり、そばに確かに寄り添う「ひとりの人間となること」(自分から積極的に相手の隣人になる)がイエスの姿勢だったのです」(p.325)

 

 「神学」=「尽きせぬ想いを心に秘めて「相手」(神、隣人)と渡り合う日々の営みを現固化する試み」(p.338)

 「聖書」=「希望の物語」をつづったメッセージ集(p.361)

 

 「聖書」=「神からのラブレター」「愛情をこめて、ものがたること」

 

 「天国」=「自分が最も自分らしく活き活きと生きている状態のことであり、自分がまるごと受け容れられて全部肯定されている状態」「神とともに永遠に生きている状態」「神を信じて暮らしているときに、すでに私たちは天国の状態に入り始めています」(p.366)

 

 「天国」=「神とともにいっしょに生きている状態」、「地獄」=「自発的に神に反抗して、神の呼びかけを拒絶して、自分から心を閉ざして自滅してゆく状態」(p.371)

 

 「復活」=「イエスがあらゆる最悪の状態をはねのけて決然と立ち上がった=神がイエスを決して見捨てずに再び尊厳を回復してくださった、という究極的な真実」(p.374)

 

 「宣教」=「神のいつくしみ深い想いを伝えること」

 いかがでしょうか。読む人にとって、まだ冷たいとか、はんたいに、解答しすぎとか感じられるものも、いくつかあると思いますが、ほどよく解凍されているものがたくさんあるのではないでしょうか。

 いずれにせよ、解凍しようという志し、試みがすばらしいですね。

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