誤読ノート981 「荒野に水を、さばくに川を」
「炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅」(山岡淳一郎、2026年、集英社)
中村哲さんは九州大学医学部の卒業です。
九大医学部と言えば、偏差値というもので言うなら、九州の大学で、もっとも高いところです。全国でも有数の難関です。
ぼくも高2の模試で、志望校にそこを書いたことがありますが、合格するには、まあ、進学校でもトップクラスの成績が必要です。
九大医学部の卒業生のどれくらいが臨床医になり国内で医療にあたるのか、正確にはわかりませんが、およそ9割くらいではないでしょうか。中村哲さんも卒業後10年くらいは国内の病院で医師として働いていました。
しかし、その後、中村さんはアフガニスタンに赴き、そこで医療活動をし、さらには、その地の荒れ野に灌漑用水路を築き、砂漠に水を引きました。
本書は、中村さんの誕生から、医学生時代、アフガニスタンでの仕事、働き、そして、中村さんとともに歩んだ人びとについての物語です。
中村さんはキリスト教徒というか、ある意味、イエスのような生き方をした人なので、この物語は、イエスとその仲間をも思わせます。中村さんの仲間のイスラム教徒の人びとには失礼な表現なのですが・・・。けれども、中村さんは、キリスト教徒とかイスラム教徒とかいうこだわりや分け隔てからは、まったく自由な人だったと思います。
そういうわけで、以下、本書から、中村さんとキリスト教に関わるようなところを抜き出してみたいと思います。
「戦乱と大旱魃で砂漠化した農地に水を引いて農業を再生し、銃を持つゲリラを、鍬を持つ農民に戻し、アフガニスタンを自給自足の国に変えるという中村の遠大な構想」(p.4)。
著者、山岡さんのこの言葉から以下の聖書の言葉を思い出しました。
「荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせ、わたしの選んだ民に水を飲ませる」(イザヤ43:20)。
これは旧約聖書の預言者イザヤの書に出てくる、神の言葉です。
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(イザヤ2:4)。
これも、イザヤ書に出てくる言葉です。国連のどこかにもこの言葉が掲げられているそうです。
本書の著者の山岡さんも、イザヤのこの二つの言葉を頭に置いていたのではないでしょうか。
「天空へ、一本の水の道が、くっきりと延びている。
取水口は用水路の出発点だから標高はもっとも高いのだが、不思議なことに、そこから崖の岩肌に沿って築かれている水路を眺めると、まるで水が天に昇っていくように見えた。
人も、レンガの側壁も、工事用の車両も、天の一角を目ざしている。
物理的には微妙な勾配で水は下に流れていくのに、水の道は上へ向かっているのだ。
目の錯覚だとわかっていても、天へ延びた水路が、あの熱砂の台地を潤して麦穂を実らせるのかと思うと、その場から私は動けなくなった。川音に浸って、ずっと眺めていたかった」(p.18)。
ここでも、山岡さんは中村哲さんとその仲間の生に「天」を感じているのではないか、と思いました。新約聖書にはイエスと仲間たちが麦畑を歩き、麦穂を摘んだ場面も出てきます。
中村さんは15歳の時に、バプテスト教会でバプテスマ(日本語では、浸礼、あるいは、洗礼と訳されています)を受けます。その数年後でしょうか、九大時代、YMCAの夏期学校に参加し、滝沢克己(九大文学部哲学科教授)の講演を聴きます。滝沢は「インマヌエル」(「神われらとともにいます」の意味の旧約聖書の言葉)をその神学の土台とします。
「滝沢はキリスト教徒であろうとなかろうと、すべての人がいつでも、どこでも、神とともにいることは疑いようのない原事実だと説いた」(p.115)。
「中村は、インマヌエルを「他の人の行くことを嫌うところへ行け」という使命感を支える哲理へと高めていく。「神われらとともにいます」を漢籍風に「天、共に在り」と言い表した。四十数年後、
〈「天、共に在り」を、ヘブライ語で「インマヌエル」という(異論はあろうが、ここでは日本語になじむ理解に従って、こう記す)。これが聖書の語る神髄である。枝葉を落とせば、総てがここに集約し、地下茎のようにあらゆるものと連続する〉(『天、共に在り』)
と思いを披歴している」(p.116)。
〈 〉内は中村さんの言葉です。中村さんが、とても深く広いもの、を信頼していたことが伝わってきます。
つぎに引用するのは、中村さんの使信の一部です。
〈私は、私の中に美しく輝く白峰は、また全ての人々にもその輝きをはなつことを信じて、これを仰ぎみるのみであります。私にとって神の普遍性は即ち人間の普遍性であります。
「イエスは人々の中を最も低いところまで下られた。そして哀しみをもって神を仰がれた。」
私にはこの事実だけで充分であります。やゝこしい論議を超えて、全ての人々の奥深くから、まばゆくきらめき出す何ものかを私たちはこの事実から予感するのではありませんか〉(p.149)。
中村さんのこの言葉を評して、著者の山岡さんはこう記しています。
「中村は、生も死も渾然と溶け合った悠久の大自然、ヒンズークシュの銀嶺に「インマヌエル(神われらとともにいます)」を感得したのだろう。
誰もが仰ぎ見ることができる「神」と出会ったのである」(p.150)。
中村さんが言う「全ての人々の奥深くから、まばゆくきらめき出す何ものか」と、著者の言う「誰もが仰ぎ見ることのできる「神」」は共鳴しています。
「キリスト教国の指導者が仕掛けた戦争がアフガン人に地獄の苦しみを与えている。同じキリスト教徒の中村はイスラム教徒のアフガン人と身を粉にして働く。この違いはどこからくるのか」(p.343)。
キリスト教という宗教のメンバーであることと、イエスや聖書の良質の思想、精神に共感することの違いではないでしょうか。
中村さんの仲間の日本人が「他国を侵略するのはキリスト教の国が多いですね。キリスト教は苦手だな」(p.343)とうっかりもらしたところ、中村さんは、「少し寂しそうな顔をして、こう話した」(同)そうです。
「今のキリスト教はヨーロッパ教ですね。もともとイエス・キリストはセム系の人で、肌の色はアラブ人のような褐色だったと言われています。サンタクロースもクリスマス(キリストの降誕祭)にはいなかった。ヨーロッパ人が都合のいいように変えたのです。本来のキリスト教というのは、じつは、いまここの、アフガニスタンの土着の素朴なイスラム教に近かったのではないかと思っています。わたしは、ここにいて、異教徒のなかにいる感覚はまったくないのです」(同)。
著者は、中村さんのこの言葉を評して、「中村は、アフガンのイスラム信仰に、むしろ原始キリスト教的な素朴さを見いだしていたのだろう」(同)と記しています。
中村さんも山岡さんも、中村さんの周りのアフガン人のイスラム信仰が原始キリスト教に近いということよりも、むしろ、どちらにも、先ほど(p.149-150)の「全ての人々の奥深くから、まばゆくきらめき出す何ものか」や「誰もが仰ぎ見ることのできる「神」」が感じられるということを述べたいようにぼくには思えました。
「中村哲の生涯を調べるために取材をすると、彼は、まるで生も死もあらかじめ決められていたような、あるいは何者かに導かれた「預言的な人生」を送ったように思われてならない」(p.88)。
中村さんの運命が神に決められていたかどうかは、ぼくにはわかりませんが、「何者かに導かれた」というのは、その通りだと思います。そして、その何者かとは、繰り返しになりますが、先ほど(p.149-150)の「全ての人々の奥深くから、まばゆくきらめき出す何ものか」や「誰もが仰ぎ見ることのできる「神」」なのではないでしょうか。
聖書では「預言」とは「予言」(未来のことを予言する)だけに限らず、神の言葉、神のメッセージを預かることを言います。中村さんはその人生によって、まさに、《すべての人の命は等しく尊い》、《神はすべての人とともにいる》、《神はそのために「荒野に水を、さばくに川を」もたらす》という神のメッセージをぼくたちに伝えてくれました。
中村さんは会報に以下のように書いています。
〈無差別の暴力は過去の自分たちの姿です。敵は外にあるのではありません。私たちの中に潜む欲望や偏見、残虐性が束になるとき、正気を持つ個人が消え、主語のない狂気と臆病が力を振るうことを見てきました。
このような状況だからこそ、人と人、人と自然の和解を訴え、私たちの事業も営々と続けられます。ここは祈りを込め、道を探る以外にありません。祈りがその通りに実現するとは限りませんが、それで正気と人間らしさを保つことができます〉(p.419)。
「過去の自分たちの姿」とは日本の侵略戦争のことを含んでいるのでしょう。それは「私たちの中に潜む欲望や偏見、残虐性」によって起こったと。これは、中村さんのなかでは、聖書が言う「罪」と重なっていることでしょう。そして、アフガンの地も人間の「欲望や偏見、残虐性」と無縁ではないと。だからこそ、「和解を訴え」「「祈りを込め、道を探る」と中村さんは言うのです。
「中村が火野のように戦争の記憶に圧し潰されなかったのは、深く内省し、祈りの力を信じていたからではないだろうか」(p.419)。
火野とは中村さんの伯父である火野葦平さんのことです。中村さんの深い内省と祈りは、キリスト教徒としてのそれにとどまらず、人間としての内省と祈りだったのではないでしょうか。
「宗教は、民族や集団の共同幻想としての対立が深まる戦争の火種となる。だが、個人の内面の安寧を図ろうとする手段である限り、〈正気と人間らしさを保つ〉盾でありつづけるのかもしれない。
キリスト教徒の中村は、初めてペシャワールのミッション病院に赴任する直前、西日本新聞のインタビュー(一九八四年四月一九日付)に印象深い言葉を残している。
「医療に恵まれないパキスタンで一粒の麦になりたい」
そう中村は言い置いて、旅立っていったのだ。
聖書ヨハネによる福音書一二章二四節にはこう記されている。
〈一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの実を結ぶべし〉
蒔かれた麦が粒のままでいたら、腐って終わる。だが、粒が破れて新しい芽を吹けば、やがて無数の実が結ばれる……中村が望んだとおり、一粒の麦が死んだあとには、総面積二万三八〇〇ヘクタール、九〇万人以上が安定して暮らせる大地が生まれた」(p.420)。
著者のこの記述の通りだと思います。ただし、中村さんにとって、キリスト教というか、信仰は、「個人の内面の安定を図ろうとする手段」にとどまらず、むしろ、彼をして九〇万人の大地を目指させた原動力であったのではないでしょうか。
最後に、中村さんと旧知のある医師の言葉を紹介します。
「佐久で再会した中村君からは、そういう人間のギラギラした欲望が感じられなかった。なんと言えばいいのか、透明な、心が透き通っていたといえばいいのか……。僕は、しみじみ、こう思ったんです。ああ、哲君はとうとう神に出会ったんだなあって。医師として、キリスト者として使命感に燃えている、というのではなく、もっと深いところで神と出会ったんだな、と思ったんです」(p.431)。
ぼくもこの医師の言葉に共感します。中村さんのキリスト教は、小さくなくて、大きくて、閉鎖的でなくて、開かれていて、浅くなくて、深くて、キリスト教に閉じ込もらないキリスト教だと思います。その意味で、中村さんは、イエスと心を共有すると思います。
ぼくも、「もっと深いところで神と出会い」なおし、「透き通った」心で、「透明な」言葉を語りたい、清水の水路になりたいと思いました。
本書を読んで、ぼくは自分の生き方を反省しました。
キリスト教の牧師になって三十数年、毎週、聞き手の慰めや励まし、喜びになるようなメッセージをと思い、聖書から語ってきました。時間で言えば一話25分、原稿の文字で言えば毎回数千字です。
ここ数年はさらに毎朝メールで百人くらいの人びとにショートメッセージ(500~1000字、最近は短歌とイラスト付き)を送っています。
こうすることで、ぼくは誰かに水を届けているのでしょうか。
しかし、届けているとしても、それは、いわば水道水ではないでしょうか。国内で臨床を続ける医師のようなものです。(むろん、水道水も国内臨床医も、国内生活者の毎日の生活を守っている、とても大事な存在です。)
けれども、ぼくも、中村さんのように外の荒れ野に水を流す仕事をしたい、と思い始めました。
現在の枠組みで発する言葉と、その外で発する言葉では、何かが違うのではないでしょうか。今のぼくの言葉を喜び大事にしてくださる人びとがいます。ありがたいことです。
しかし、ぼくが外に出て、今より自由に、語りたいことを心から語るとき(今、心から語っていないわけではありませんが・・・)、その言葉は誰かに届くのか、試してみたいと思います。
いや、自分のために試すのではなく、ぼくのそういう言葉を必要としてくれる人びとがいるように思うのです。
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