誤読ノート982 「こんなにも空が恋しい、のはなにゆえに」 ・・・・・ 「青色の手紙」(若松英輔、2026年、亜紀書房)

誤読ノート982 「こんなにも空が恋しい、なにゆえに」

 

「青色の手紙」(若松英輔、2026年、亜紀書房)

とても青い本です。装丁も文章も青色です。帯、カバー、表紙が青の階層をなしています。

 

青はぼくも好きな色です。ネクタイもシャツもあまり持っていませんが、好みはやはり青です。

なぜ青色に惹かれるのか、これまで考えたことはありませんでしたが、本書を読んで、青色の意味に少し触れたように思いました。

「青は不思議な色だ。空も青いし、海も青い。彼方や深みがあるところには青がある。青はこの世界には奥行きがあることを教えてくれているんだ」

 

AIに空や海がなぜ青いのかと聞くと光の物理的な性質から説明します。けれども、若松さんはそうではなく、「彼方や深みがあるところには青がある」と言うのです。ぼくが青に惹かれるのも、ぼくが青に「世界の奥行き」を予感しているからなのでしょうか。

 

以下、本書から若松さんの言葉をご紹介いたします。

それらの言葉のすべてが青に直接触れているわけではありませんが、しかし、どの言葉も青色の意味につながっているようにも思います。

「文字や声になる「言葉」とは異なる、もう一つの「コトバ」」(p.9)。

「土の色、風の強さや香り、雲の流れ、これらはみな、尊徳にとってはコトバだった」(同)。

尊徳とは二宮尊徳のことです。「コトバ」とは「人間を超えた存在から示される」(同)もの、人間を超えた存在を示すものではないでしょうか。

「青」も「彼方や深み」「世界の奥行き」を示していますから、「青」と「コトバ」は同じ次元にあるのではないでしょうか。

「「魂」とは何かを説明するのはむずかしい。けれど、それが「心」とぼくたちが呼ぶものよりももっと深い場所に在るものであることは確かだ。ぼくたちは日頃から自分の「心」の動きを強く感じながら生きている。でも「魂」はどうだろう。

 この人物によれば、ぼくたちは「心」で世界を感じているけれど、「魂」では、世界と他者、そして自分と「つながって」いるらしい。「魂」があるからこそ、自分以外の人とともに暮らしていこうとするのかもしれない」(p.44)。

「この人物」とは誰のことでしょうか。それはこの本の「第二の手紙」を読めばわかります。さて、「魂」も「青」や「コトバ」と同じように「深み」に関わるのでしょう。そして、その「深み」は、世界の「深み」であると同時に、人や自分の「深み」だというのではないでしょうか。「魂」は、わたしたちを世界、人、そして自分とつないでくれると。

ぼくたちは「青い海」と言います。しかし、そこに有機水銀が流し込まれた「事件」を若松さんは省みます。

 

「海に流し込めば、その毒性も薄まり、人体に被害は及ばないと考えたのかもしれない。しかし、現実は違った。海は、単なる多量の水ではないからだ。それは広大なプールではなく、大小さまざまな魚やエビ、カニなどの生き物、あるいは海藻が生い茂る場所だったんだ。

 表面的に見れば海は、大きな水たまりに見える。しかし、実際は容易に解明でできない「いのち」の場だ」(p.72)。

海の「青」は、海の「深み」を示しているのであり、「深み」は生物の生態系の複雑さのみならず、「いのち」の「深み」、存在の「深み」を表しているのではないでしょうか。

「公害という痛ましい出来事が起こっただけじゃない。そこには「いのち」よりも経済的成果の方が重んじられる社会も生まれたんだ」(p.77)。

有機水銀が水俣の海に流し込まれることによって、生物の生態系のみならず、ぼくたちと「彼方」や「深み」、世界、人、自分たちとの「つながり」が破壊される、ということではないでしょうか。

 

けれども、若松さんは世界に絶望しているのではありません。

「ぼくは、君に「ついて」多く知ることはできない。でも、君とぼくをつないでいる場を貴ぶことはできる。そのつながりに畏怖の念をもって向き合うことはできると思うんだ」(p.72)。

大切なことは、情報ではなく、情報言語でもなく、つながりだというのです。空と海は青色で深くつながっているように、青は深いつながりをも意味するのでしょう。

「妄想は君を狭い世界に閉じ込める。でも、想像の働きは、君に勇気を与え、広い場所へと導くだろう」(p.89)。

 

青い空も青い海も果てしなく広いように、そして、広い空と海はその向こう側を想像させるように、青は広がりと想像をも意味するのでしょう。

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誤読ノート981 「荒野に水を、さばくに川を」 ・・・・・ 「炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅」(山岡淳一郎、2026年、集英社)

誤読ノート981 「荒野に水を、さばくに川を」

 

「炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅」(山岡淳一郎、2026年、集英社)

中村哲さんは九州大学医学部の卒業です。

九大医学部と言えば、偏差値というもので言うなら、九州の大学で、もっとも高いところです。全国でも有数の難関です。

ぼくも高2の模試で、志望校にそこを書いたことがありますが、合格するには、まあ、進学校でもトップクラスの成績が必要です。

九大医学部の卒業生のどれくらいが臨床医になり国内で医療にあたるのか、正確にはわかりませんが、およそ9割くらいではないでしょうか。中村哲さんも卒業後10年くらいは国内の病院で医師として働いていました。

しかし、その後、中村さんはアフガニスタンに赴き、そこで医療活動をし、さらには、その地の荒れ野に灌漑用水路を築き、砂漠に水を引きました。

本書は、中村さんの誕生から、医学生時代、アフガニスタンでの仕事、働き、そして、中村さんとともに歩んだ人びとについての物語です。

 

中村さんはキリスト教徒というか、ある意味、イエスのような生き方をした人なので、この物語は、イエスとその仲間をも思わせます。中村さんの仲間のイスラム教徒の人びとには失礼な表現なのですが・・・。けれども、中村さんは、キリスト教徒とかイスラム教徒とかいうこだわりや分け隔てからは、まったく自由な人だったと思います。

そういうわけで、以下、本書から、中村さんとキリスト教に関わるようなところを抜き出してみたいと思います。

「戦乱と大旱魃で砂漠化した農地に水を引いて農業を再生し、銃を持つゲリラを、鍬を持つ農民に戻し、アフガニスタンを自給自足の国に変えるという中村の遠大な構想」(p.4)。

著者、山岡さんのこの言葉から以下の聖書の言葉を思い出しました。

「荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせ、わたしの選んだ民に水を飲ませる」(イザヤ43:20)。

これは旧約聖書の預言者イザヤの書に出てくる、神の言葉です。

「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(イザヤ2:4)。

これも、イザヤ書に出てくる言葉です。国連のどこかにもこの言葉が掲げられているそうです。

本書の著者の山岡さんも、イザヤのこの二つの言葉を頭に置いていたのではないでしょうか。

「天空へ、一本の水の道が、くっきりと延びている。

 取水口は用水路の出発点だから標高はもっとも高いのだが、不思議なことに、そこから崖の岩肌に沿って築かれている水路を眺めると、まるで水が天に昇っていくように見えた。

 人も、レンガの側壁も、工事用の車両も、天の一角を目ざしている。

 物理的には微妙な勾配で水は下に流れていくのに、水の道は上へ向かっているのだ。

 目の錯覚だとわかっていても、天へ延びた水路が、あの熱砂の台地を潤して麦穂を実らせるのかと思うと、その場から私は動けなくなった。川音に浸って、ずっと眺めていたかった」(p.18)。

ここでも、山岡さんは中村哲さんとその仲間の生に「天」を感じているのではないか、と思いました。新約聖書にはイエスと仲間たちが麦畑を歩き、麦穂を摘んだ場面も出てきます。

中村さんは15歳の時に、バプテスト教会でバプテスマ(日本語では、浸礼、あるいは、洗礼と訳されています)を受けます。その数年後でしょうか、九大時代、YMCAの夏期学校に参加し、滝沢克己(九大文学部哲学科教授)の講演を聴きます。滝沢は「インマヌエル」(「神われらとともにいます」の意味の旧約聖書の言葉)をその神学の土台とします。

 

「滝沢はキリスト教徒であろうとなかろうと、すべての人がいつでも、どこでも、神とともにいることは疑いようのない原事実だと説いた」(p.115)。

 

「中村は、インマヌエルを「他の人の行くことを嫌うところへ行け」という使命感を支える哲理へと高めていく。「神われらとともにいます」を漢籍風に「天、共に在り」と言い表した。四十数年後、

〈「天、共に在り」を、ヘブライ語で「インマヌエル」という(異論はあろうが、ここでは日本語になじむ理解に従って、こう記す)。これが聖書の語る神髄である。枝葉を落とせば、総てがここに集約し、地下茎のようにあらゆるものと連続する〉(『天、共に在り』)

 と思いを披歴している」(p.116)。

〈 〉内は中村さんの言葉です。中村さんが、とても深く広いもの、を信頼していたことが伝わってきます。

つぎに引用するのは、中村さんの使信の一部です。

〈私は、私の中に美しく輝く白峰は、また全ての人々にもその輝きをはなつことを信じて、これを仰ぎみるのみであります。私にとって神の普遍性は即ち人間の普遍性であります。

「イエスは人々の中を最も低いところまで下られた。そして哀しみをもって神を仰がれた。」

 私にはこの事実だけで充分であります。やゝこしい論議を超えて、全ての人々の奥深くから、まばゆくきらめき出す何ものかを私たちはこの事実から予感するのではありませんか〉(p.149)。

中村さんのこの言葉を評して、著者の山岡さんはこう記しています。

「中村は、生も死も渾然と溶け合った悠久の大自然、ヒンズークシュの銀嶺に「インマヌエル(神われらとともにいます)」を感得したのだろう。

 誰もが仰ぎ見ることができる「神」と出会ったのである」(p.150)。

中村さんが言う「全ての人々の奥深くから、まばゆくきらめき出す何ものか」と、著者の言う「誰もが仰ぎ見ることのできる「神」」は共鳴しています。

 

「キリスト教国の指導者が仕掛けた戦争がアフガン人に地獄の苦しみを与えている。同じキリスト教徒の中村はイスラム教徒のアフガン人と身を粉にして働く。この違いはどこからくるのか」(p.343)。

キリスト教という宗教のメンバーであることと、イエスや聖書の良質の思想、精神に共感することの違いではないでしょうか。

中村さんの仲間の日本人が「他国を侵略するのはキリスト教の国が多いですね。キリスト教は苦手だな」(p.343)とうっかりもらしたところ、中村さんは、「少し寂しそうな顔をして、こう話した」(同)そうです。

「今のキリスト教はヨーロッパ教ですね。もともとイエス・キリストはセム系の人で、肌の色はアラブ人のような褐色だったと言われています。サンタクロースもクリスマス(キリストの降誕祭)にはいなかった。ヨーロッパ人が都合のいいように変えたのです。本来のキリスト教というのは、じつは、いまここの、アフガニスタンの土着の素朴なイスラム教に近かったのではないかと思っています。わたしは、ここにいて、異教徒のなかにいる感覚はまったくないのです」(同)。

著者は、中村さんのこの言葉を評して、「中村は、アフガンのイスラム信仰に、むしろ原始キリスト教的な素朴さを見いだしていたのだろう」(同)と記しています。

中村さんも山岡さんも、中村さんの周りのアフガン人のイスラム信仰が原始キリスト教に近いということよりも、むしろ、どちらにも、先ほど(p.149-150)の「全ての人々の奥深くから、まばゆくきらめき出す何ものか」や「誰もが仰ぎ見ることのできる「神」」が感じられるということを述べたいようにぼくには思えました。

 

「中村哲の生涯を調べるために取材をすると、彼は、まるで生も死もあらかじめ決められていたような、あるいは何者かに導かれた「預言的な人生」を送ったように思われてならない」(p.88)。

中村さんの運命が神に決められていたかどうかは、ぼくにはわかりませんが、「何者かに導かれた」というのは、その通りだと思います。そして、その何者かとは、繰り返しになりますが、先ほど(p.149-150)の「全ての人々の奥深くから、まばゆくきらめき出す何ものか」や「誰もが仰ぎ見ることのできる「神」」なのではないでしょうか。

聖書では「預言」とは「予言」(未来のことを予言する)だけに限らず、神の言葉、神のメッセージを預かることを言います。中村さんはその人生によって、まさに、《すべての人の命は等しく尊い》、《神はすべての人とともにいる》、《神はそのために「荒野に水を、さばくに川を」もたらす》という神のメッセージをぼくたちに伝えてくれました。


中村さんは会報に以下のように書いています。

〈無差別の暴力は過去の自分たちの姿です。敵は外にあるのではありません。私たちの中に潜む欲望や偏見、残虐性が束になるとき、正気を持つ個人が消え、主語のない狂気と臆病が力を振るうことを見てきました。

このような状況だからこそ、人と人、人と自然の和解を訴え、私たちの事業も営々と続けられます。ここは祈りを込め、道を探る以外にありません。祈りがその通りに実現するとは限りませんが、それで正気と人間らしさを保つことができます〉(p.419)。

 「過去の自分たちの姿」とは日本の侵略戦争のことを含んでいるのでしょう。それは「私たちの中に潜む欲望や偏見、残虐性」によって起こったと。これは、中村さんのなかでは、聖書が言う「罪」と重なっていることでしょう。そして、アフガンの地も人間の「欲望や偏見、残虐性」と無縁ではないと。だからこそ、「和解を訴え」「「祈りを込め、道を探る」と中村さんは言うのです。

「中村が火野のように戦争の記憶に圧し潰されなかったのは、深く内省し、祈りの力を信じていたからではないだろうか」(p.419)。


火野とは中村さんの伯父である火野葦平さんのことです。中村さんの深い内省と祈りは、キリスト教徒としてのそれにとどまらず、人間としての内省と祈りだったのではないでしょうか。

 

「宗教は、民族や集団の共同幻想としての対立が深まる戦争の火種となる。だが、個人の内面の安寧を図ろうとする手段である限り、〈正気と人間らしさを保つ〉盾でありつづけるのかもしれない。

 キリスト教徒の中村は、初めてペシャワールのミッション病院に赴任する直前、西日本新聞のインタビュー(一九八四年四月一九日付)に印象深い言葉を残している。

 「医療に恵まれないパキスタンで一粒の麦になりたい」

 そう中村は言い置いて、旅立っていったのだ。

 聖書ヨハネによる福音書一二章二四節にはこう記されている。

 〈一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの実を結ぶべし〉

 蒔かれた麦が粒のままでいたら、腐って終わる。だが、粒が破れて新しい芽を吹けば、やがて無数の実が結ばれる……中村が望んだとおり、一粒の麦が死んだあとには、総面積二万三八〇〇ヘクタール、九〇万人以上が安定して暮らせる大地が生まれた」(p.420)。

著者のこの記述の通りだと思います。ただし、中村さんにとって、キリスト教というか、信仰は、「個人の内面の安定を図ろうとする手段」にとどまらず、むしろ、彼をして九〇万人の大地を目指させた原動力であったのではないでしょうか。

最後に、中村さんと旧知のある医師の言葉を紹介します。

 

「佐久で再会した中村君からは、そういう人間のギラギラした欲望が感じられなかった。なんと言えばいいのか、透明な、心が透き通っていたといえばいいのか……。僕は、しみじみ、こう思ったんです。ああ、哲君はとうとう神に出会ったんだなあって。医師として、キリスト者として使命感に燃えている、というのではなく、もっと深いところで神と出会ったんだな、と思ったんです」(p.431)。

ぼくもこの医師の言葉に共感します。中村さんのキリスト教は、小さくなくて、大きくて、閉鎖的でなくて、開かれていて、浅くなくて、深くて、キリスト教に閉じ込もらないキリスト教だと思います。その意味で、中村さんは、イエスと心を共有すると思います。

ぼくも、「もっと深いところで神と出会い」なおし、「透き通った」心で、「透明な」言葉を語りたい、清水の水路になりたいと思いました。

 

本書を読んで、ぼくは自分の生き方を反省しました。

キリスト教の牧師になって三十数年、毎週、聞き手の慰めや励まし、喜びになるようなメッセージをと思い、聖書から語ってきました。時間で言えば一話25分、原稿の文字で言えば毎回数千字です。

ここ数年はさらに毎朝メールで百人くらいの人びとにショートメッセージ(500~1000字、最近は短歌とイラスト付き)を送っています。

こうすることで、ぼくは誰かに水を届けているのでしょうか。

しかし、届けているとしても、それは、いわば水道水ではないでしょうか。国内で臨床を続ける医師のようなものです。(むろん、水道水も国内臨床医も、国内生活者の毎日の生活を守っている、とても大事な存在です。)

けれども、ぼくも、中村さんのように外の荒れ野に水を流す仕事をしたい、と思い始めました。

現在の枠組みで発する言葉と、その外で発する言葉では、何かが違うのではないでしょうか。今のぼくの言葉を喜び大事にしてくださる人びとがいます。ありがたいことです。

 

しかし、ぼくが外に出て、今より自由に、語りたいことを心から語るとき(今、心から語っていないわけではありませんが・・・)、その言葉は誰かに届くのか、試してみたいと思います。

 

いや、自分のために試すのではなく、ぼくのそういう言葉を必要としてくれる人びとがいるように思うのです。

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誤読ノート980 「生き方を貫くふたりのさまよう音楽家」 ・・・・・ 「私の「風速計」」(崔善愛、2026年、いのちのことば社)

誤読ノート980 「生き方を貫くふたりのさまよう音楽家」

 

「私の「風速計」」(崔善愛、2026年、いのちのことば社)

ぼくは1960年生まれで、4歳から19歳まで北九州市の小倉で過ごしました。最近読んだ「韓国について知っておきたい30のこと」の著者は、ぼくより数年若いようですが、やはり、高校までは小倉にいたとのことです。


そして、本書の著者の崔善愛さんも、おそらく近い年齢で、高校までは小倉にいたと思います。

崔さんはピアニスト。「週刊金曜日」の編集委員なども務めています。本書には崔さんが「

週刊金曜日」に掲載した時事エッセイ、そして、ご自身や父である崔昌華牧師の歩みについての文章が収められています。

崔昌華牧師の著書や、ジャーナリストによる評伝は読んだことがありましたが、本書にはそのダイジェスト的な文章があり、有益でした。

しかし、崔善愛さんの著書を読むのは初めてであり、とても意味ある読書となりました。

「週刊金曜日」の2022年5月27日、1378号に掲載された「国家に左右されないもの」では、岸田政権の歴史認識を短く批判したあと、次のように続きます。

「私は、在日韓国人一世のハルモ二(おばあさん)たちが集う教会の讃美歌を聴いて育った。朝鮮語が母語だったハルモニらが歌う讃美歌は、独特なこぶしが入り、オルガンで伴奏をしながら苦笑したものだ。だれが教えるわけでもない。ハルモニらは、コラールの格調ある讃美歌の旋律やリズムを微妙にずらしたりゆらしたりして、朝鮮民謡調に歌いあげてしまう。

 植民地時代、ハルモニらは朝鮮半島で日本の歌を学校で教えられたはずだが、歌いぶりは「同化」されないまま海を渡り、日本で暮らして半世紀以上。そんなハルモニたちの歌を聴いたことがあるだろうか」(p.62)。

岸田政権のみならず、日本人のぼくの歴史認識が問われます。

 

2023年3月3日、1414号掲載「促される出産」では、自然な陣痛を待つことが医師の都合で許されなかった経験が述べられ、「出産するかしないかを、医師の都合や、ましてや時の政府の意向などで左右されてはならない」(p.75)とし、優生保護法が問われています。

2023年8月18日、1436号掲載「外国人は市民じゃない?」では、「外国籍だから外国人」と分類されることの違和感に始まり、「私のような在日「外国人」にとって地域社会でのよりどころは、「市民である」という自覚だ」(p.82)と述べられています。

たしかに、国籍を問わず「市民」「住民」「生活者」の存在や権利を、日本の行政や日本国籍者はもっと認識すべきだとぼくも考えます。

2023年10月27日、1446号掲載の「鉄のゆくえ」には、「ヤマハの前身・日本楽器製造も戦時中は軍用機のプロペラをつくっていた。楽器製作の高度な技術が生かされていたようだ。戦後、ピアノは豊かさの象徴、一家に一台のステータスシンボルであったが、今は色あせてしまった。ピアノが売れない時代、また楽器ではなく戦闘機をつくることにならないだろうか」(p.87)とあります。

崔善愛さんというピアニストに顕著なこのような社会的嗅覚は、あとで出てくるショパンとのつながりにも通じるものです。

2024年6月14日、1476号掲載の「私の「一四年間」」では、「入管法」改悪が論じられています。

 

「今国会で「永住資格」の取り消し事由を拡大する「入管法」の改悪案が審議中だ。

 私は日本で生まれ育った永住者だが、この法案には「在留カード」の不携帯だけで永住資格が奪われるなど、外国籍の永住者にとって死活問題が含まれている。永住資格はそれほどまでに軽いものなのか」(p.98)。

「永住資格」という文字を使うのだから、「生涯、日本に住む資格」であるはずなのに、「在留カード」を持ってくるのを忘れただけで住めなくなるのでは「永住資格」の文字に値しないのではないでしょうか。学生証を忘れて通学したら、退学になるでしょうか。

 

2025年8月1日、1531号掲載「子どもたちへ」は、参院選での「日本人ファースト」での連呼を聞かされる苦痛から始まり、「私は韓国名の表札を出しておこう。日本人ではなくとも、ここに住んでいる人がいるということを子どもたちに知らせるために」(p.121)と結ばれています。

2025年11月21日、1546号掲載の「国家って……」は、高市内閣の出現、その「外国人政策」への震えに始まります。

 

そして、最後は以下のように結ばれています。

 

「日本で生まれても「帰化」せず、韓国籍を維持する私のような、国にからめとられない者は、たとえば社会保険料の支払いが遅れた、「君が代」強制に反対したなどという理由で、永住資格が取り消され、国外へ追放されることもあり得る。実際、指紋押捺拒否しただけで、二十六歳のとき、再入国不許可処分を受け、事実上の「国外追放処分」を受けた。

 私の周りには思いやりのある人たちがいるのに、国家はなぜこんなにも冷たいのだろう」(p.127)。

このような言葉を読むと、崔さんは日本のすべてを拒否しているように誤解する人もいるかもしれませんが、そうではありません。

 

崔さんのお父さん、崔昌華牧師は在日一世ですが、崔さんは「父から、強制連行の歴史を聞き、日本に同化するな、民族に誇りを持って、と言われれば言われるほど、「無理だよ、アボジ」という想いがつのった」(p.180)と記しています。

「日本に住み、日本語を話し、どうやって同化せずに日本で生きていけるのか、不可能だ、同化は自然ななりゆきで、植物が環境に同化するように、意識してもしなくても生物として社会に適応してゆく。それに抗うとすれば、息も殺し、人との接触もせず、閉鎖された空間に自分を閉じ込めないかぎり、無理だ、そう思った。

朝鮮半島で生まれ、そこに根っこがある一世。だからこそ「民族」という言葉が言える。日本しか知らない者にとって、「民族性」という言葉こそ、残酷なものはない。そう思った」(p.180)。

とても正直だと思いました。けれども、これはとても深みのある正直さだと思います。日本人であるぼくが崔さんは正直だなどと感じるレベルではない、重みと歴史のある正直なのではないでしょうか。

なぜなら、崔さんの言葉には続きがあるからです。

「それでも裁判所では強気なことを述べるしかなかった。妹の「押したくない」という決意には、いつまで私たちは指紋を繰り返し取られるのか、「朝鮮人は犯罪者」というレッテルを何とかしたい、という漠とした願いがあった。そしてあのころは、真摯に訴えれば、日本社会や裁判所はわかってくれるはずだと思っていた」(p.180)。

けれども、日本社会や裁判所はこの思いに応えませんでした。

しかし、崔さん自身は自分の訴えに誠実であることを貫いたのではないでしょうか。

「裁判それ自身によって、私は、自らのゆくべき道が定められていった。というのも、裁判所で語った自分の言葉がそっくりそのまま自分を縛ってゆく。法廷で立派なことを言えばいうほど、自分はその言葉どおりに生きてみせなければならない。もうあとには引けなくなった」(p.180-181)。

本書における崔さんの言葉も、裁判所での自身の言葉への誠実さが貫かれていることを示していると思います。

「音楽は国境を越える、などというフレーズにさえ、私は怒りを感じるようになってしまった。日本と朝鮮半島を見つめるとき、私には「国境を越える」というその意味すら、ゆがんで見える。「国境を越えられて侵略された者たちへの痛み」のほうが課題であって、今、「音楽は国境を越える」とは口にしたくない」(p.186)。

「音楽に国境はない」という言葉に普遍性や美しさを感じてしまっているぼくたちには、崔さんのこの言葉は驚くべきものですが、じつは、崔さんはショパンの音楽と生き方に自身との重なりをおぼえているのです。

ショパンの祖国ポーランドは、当時、周辺の大国によって分割され、彼が育ったワルシャワはロシアの支配下にありました。国外に出ることにも当局の許可が必要でした。ショパンは、祖国ポーランドの舞曲や民俗音楽に根ざした音楽をつくりました。そして、祖国に二度と帰れないかもしれないという不安を抱きながら、1830年にポーランドを離れます。その直後、ロシア支配に対する蜂起が起こり、翌年には鎮圧されました。ショパンは、その後、生涯祖国に戻ることなく、主にパリで暮らしました。

崔善愛さんも、1986年、留学のために日本を出国する際、指紋押捺を拒否したことを理由に再入国の許可を得られませんでした。生まれてからずっと暮らし、家族も住んでいる日本に戻れるのかという不安を抱えたまま、アメリカへ向かったのです。

崔さんはショパンの「このことを知り、私のショパン観は覆された。巷で思われているような、単に繊細で甘い、ロマンをうたうだけの音楽ではない。ショパンは音楽で抵抗していたのだ。独立と解放を念じながら「英雄ボロネーズ」を書き、フランスで亡命者として生き、苦悩したショパン。ショパンの悲しみと怒りは、植民地支配を受けた世界中の人々とつながら普遍的な声だった。私はこのときはじめて、ショパンと自分がつながった。

帰る場所も拠り所もない、さまよいながら、自分の生き方を貫く人々は世界中にいる。だからこそ在日は、普遍的な存在になり得ると思う」(p.189)。

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誤読ノート979 「他者のリスペクト、歴史の研究」 ・・・・・ 「韓国について知っておきたい30のこと」(真鍋祐子、2026年、平凡社)

誤読ノート979 「他者のリスペクト、歴史の研究」

 

「韓国について知っておきたい30のこと」(真鍋祐子、2026年、平凡社)

1980年代前半 京都で過ごした学生時代、ぼくは、「指紋押捺拒否運動」の集会などに参加して、日本における在日差別を教えられました。また、在日の歴史も少し学びました。

1980年代後半 東京に転居し、「韓国政治犯救援」の集会などに参加して、韓国現代史や民主化闘争について教えられました。光州を含め、韓国を数度訪ねました。

しかし、そうした「学び」が、ぼくのなかでしっかりした線になることはありませんでした。

けれども、2026年、この本を読んで、ぼくのささやかな経験の背景に、以前よりはずっとたしかな輪郭が与えられました。

本書の帯には「民主主義を動かしてきた 痛みの記憶を知る」とあります。これが大事だと思いました。

まず、本書に出てくる映画のタイトルを書き出します。すでに観たものも含めて、これらの映画を続けてみると、本書での学びが立体的になるでしょうし、映画の背景となる歴史学習として、本書はきわめて有効でしょう。

「ソウルの春」「タクシー運転手」「1987」「トンマッコルへようこそ」「ペパーミント・キャンディー」「子猫をお願い」「私の少女」「はちどり」「パラサイト 半地下の家族」「偽りの隣人」「グエムル-漢江の怪物-」「シュリ」「JSA」「KCIA南山の部長たち」

つぎに、本書に出てくる韓国現代史の出来事を抜き出してみましょう。

1919年3月1日 三・一運動開始

1945年8月15日 大日本帝国からの解放(1910年8月29日以来)、以後、朝鮮半島の北側をソ連軍、南側を米軍が占領

 

1948年4月3日 済州島で武装蜂起、それに対する弾圧と多数の住民の犠牲を伴う「済州4・3」と呼ばれる一連の悲劇が本格化

 

1948年8月15日 南側に李承晩を大統領とする大韓民国が成立

 

1948年9月9日 北側に金日成を首相とする朝鮮民主主義人民共和国が成立

 

1950年6月25日 朝鮮戦争勃発

 

1953年7月27日 休戦

 

1960年4月19日 「4月革命」 やがて、李承晩は大統領を辞任し亡命

 

1961年5月16日 朴正煕らによるクーデター

 

1970年11月13日 全泰壱、勤労基準法順守を求めて抗議の焼身

1973年8月8日 金大中、東京で拉致される


1975
年11月22日 「学園浸透スパイ団事件」、関西から留学していた在日学生がKCIAに拘束されたことが発表された

1979年10月26日 朴正煕大統領、暗殺される

 

1979年12月12日 全斗煥らによる「粛軍クーデター」

1980年5月17日 全斗煥ら新軍部の主導で、非常戒厳令を全国に拡大

 

1980年5月18~27日 光州民主化運動。民主化を求める学生・市民を、全斗煥ら新軍部が武力で鎮圧し、非常に多くの死傷者が出る。

 

1980年9月17日 金大中、死刑判決を受ける

 

1987年6月 「6月民主抗争」「国民平和大行進」「6・29宣言」

1998年2月25日 金大中、大統領に就任

 

2014年4月16日 セウォル号、沈没

 

2016年10月 朴槿恵大統領にまつわる疑惑が起こり、退陣を求めるキャンドル集会が毎週末開かれ、全国的な大規模運動へ発展。

2017年3月 憲法裁判所が、朴大統領を罷免

2024年12月3日 尹錫悦大統領、戒厳令布告

 

2024年12月4日 国会が戒厳令を解除要求を可決

 

2024年12月10日 光州事件を扱った小説「少年が来る」などを書いたハンガン(韓江)がノーベル文学賞を受賞

 

2025年4月4日 憲法裁判所が、尹大統領を罷免

 

今回、本書によって、このような流れを確認できました。先に述べた諸集会で聞いていたいくつかのことがらも、すこし整理されました。

つぎに、本書から韓国のキリスト教に関する記述を抜き出します。

「アメリカの国益を代表するかのようなプロテスタントの教えは、現代韓国の保守主義の伝統にも大きな影響を与えつづけているのです」(p.28)。

他方、キリスト教のこれと異なる側面も書かれています。

「60年代から70年代にかけての労働運動には、キリスト教が大きく関わっていました。プロテスタントは都市部の零細工場の工員などを対象に、カトリックはおもに農村で教えを広め、文字と知識を広める役割をはたします。それが労働者たちの社会運動への参加を促すことになったのです」(p.74)。

「プロテスタント信者だった全泰壱の自死は、その処理をめぐって教会内で波紋を呼び起こし、厳しい葛藤の末、彼の死を「第二のイエス」による贖罪の死ととらえる解釈を生み出しました。この韓国独自の神学的解釈を「民衆神学」といいます」(p.75)。

「民衆神学」は日本にも紹介され、訳書も多数あり、1980年代にぼくもよく読みました。また、日本では1974年に荒井献の「イエスとその時代」が出版され、すぐに翻訳され、民衆神学に共鳴する韓国の人びとにも読まれたようです。

 

しかし、民衆神学の影響力は弱まったようです。

 

「李明博政権の時代からは、「ニューライト」ととともにプロテスタント右派が力を増しています。なかでも建国期に来たから渡ってきた人びとが礎を築いた、反共・親米傾向をもついくつかの目がチャーチは、非常に大きな影響力をもっています。星条旗と太極旗(韓国の国旗)を掲げ、賛美歌を歌いながら「セウォル号の遺族たちは地獄へ行け」などとシュプレヒコールをあげるような、保守派による大規模なデモや集会がしばしば見られるようになりました」(p.206)。

 

本書でとても大きな学びとなったのは、ぼくが4歳から19歳まで過ごした北九州市の小倉のことです。

著者の真鍋さんも小倉育ちでした。真鍋さんはこう記しています。

「私が生まれ育った福岡県北九州市の小倉は、筑豊炭鉱を後背地とした「鉄都」である八幡とともに、戦前から「軍都」として発展した街です。戦後はアメリカ軍の基地が置かれ、とりわけ朝鮮戦争における兵站基地として、この「特需」とともに繫栄した歴史をもちます」(p.47)。

 

軍都であった小倉は原子爆弾投下の候補地であったことはぼくも聞いていました。しかし、このような真鍋さんの指摘は知らなかった、というか、意識を向けていませんでした。

 

「現在は陸上自衛隊小倉駐屯地となっている、城野の補給基地(キャンプ城野)。そこは私が生まれてから3歳まで暮らしていた城野団地と同じ地区です」(p.48)。

その補給基地のあった場所は、ぼくが住んでいたところから徒歩15分くらいで、上部が有刺鉄線になったフェンスが巡らしてあって、その向こうには、小型の飛行機が見えました。

「物心がついたころから私が10年あまり暮らしていた新興住宅地の近くには、「山田弾薬庫」がありました。これは旧日本軍が建設した施設ですが、戦後は在日米軍最大の弾薬庫として、朝鮮戦争やベトナム戦争への補給を支えました」(p.51)。

山田弾薬庫という名前もぼくは耳にはしていましたが、朝鮮戦争、ベトナム戦争につながっている、ということには気づきませんでした。

 

ぼくが育った町の意味合いがかなり変わることになるでしょう。

最後に、真鍋さんの考え方として、印象深い箇所をいくつか書き出します。

「「人権」という枠組みのなかで、犠牲者やその遺族が真相の究明を求め、責任者の処罰を求め、被害者の名誉を回復してしかるべき補償を求める。民主化運動への弾圧だけでなく、国家権力のもとで行われる、あらゆる人権侵害と闘う運動がはじまりました」(p.143)。

これは1990年代以降の韓国の運動への真鍋さんの評価ですが、「真相の究明」「責任者の処罰」「被害者の名誉回復」が、日本の、たとえば、安倍政権について、ほとんどなされていないことを思わされます。そうしたことが重ねられてこそ、人権運動、民主化運動が歴史となる、と思いました。

「日本側が彼女たちの歴史認識を一方的に批判したり、逆に一部のフェミニストらが「同じ女性である」ことのみを安易にコミットして連帯を求めたり、被害者たちを気安く「ハルモニ」と呼んだりしている様子を見ると、違和感をおぼえずにはいられないのです。大日本帝国の植民地支配という歴史を軽視して日本軍「慰安婦」の問題を語ることはできませんし、一人ひとりの被害者の人生に対し、フェミニズムという理念を実現するための道具のように見做したり、「あなたが経験してきたことは、このように解釈できます」などと思い上がったことを語るべきではないのです。まず、その「生きられた経験」と向き合いながら、「他者」としてリスペクトすることが大切だと私は思います」(p.151)。

これは、とくに「被害者側に立とう」とする者への鋭い言葉だと思います。しかし、正しい指摘だと思います。ぼくも自戒しなければなりません。

この言葉は、同時に、真鍋さんの歴史研究の姿勢である、と思いました。歴史を研究することは、「他者」を語るという困難で繊細なことがらを含んでいると思いますから、そこにはおおいなる、まさに「リスペクト」が大切でありましょう。

「「恨」という言葉は・・・・・日本ではその字面から、それを「恨み」ととらえ、「怨恨」や「怨念」のような感情であろうと考える人が多いのですが、これはまったくちがいます。『広辞苑』にも「韓国民衆の被抑圧の歴史が培った苦難・孤立・絶望の集合的感情。課せられた不当な仕打ち、不正義への奥深い怒りの感情」とありますが、これも部分的に切り取った解釈といわざるをえません」(p.176-177)。

 

「「恨」とは、「なぜ自分の人生はこのようになってしまったのだろう?」と自問するような、自身のなかに深くわだかまっている情念です。具体的な復讐の対象をもたない、やり場のない痛みや哀しみ、はたされなかった夢への憧憬をいうのです」(p.177)。

 

「広辞苑」の説明だけでなく、「具体的な復讐の対象をもたない」、「はたされなかった夢への憧憬」という真鍋さんの言葉が大事であると思いました。

「日本では戦争や大災害の記憶について、しばしば「体験を継承」していくことが大切といわれます・・・・・残念ながら「体験」をただ伝えるだけでは、伝言ゲームのように風化したり変質したりすることを防ぐことは難しいのではないかと感じます。

 これに対して、「民主化運動を誇りに思う」と答える人が8割にものぼるという韓国では、経験よりも「精神の継承」が大切にされてきたと感じます。死者たちは、いかなる精神で闘い、犠牲となったのか? もちろん、本当のところを死者は教えてくれません。でも今を生きる私たちは、その「精神」を問いつづけるべきであると考えるのです。問いつづけることで、新たに更新される「精神の継承」が、歴史を前に進めることになるのではないでしょうか」(p.228-229)。

151頁からの引用の中で、真鍋さんは、被害者の経験を「解釈」することの思い上がりを指摘していましたが、上の引用でも、死者たちがいかなる「精神」を抱いていたか本当のところはわからないが、それを「問いつづける」ことが「精神の継承」になる、と言っているのではないでしょうか。本当のことはわからないし、わかったつもりになってもならず、しかし、「問いつづける」ことが、まさに真鍋さんの長年の研究の姿勢なのではないでしょうか。

 

そして、そこには、研究のみならず、ぼく(たち)が生きていく道があるのではないでしょうか。

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2026年11月1日  使信「永遠のインマヌエル」  

2026年11月1日     永眠者記念礼拝

使信「永遠のインマヌエル」       イザヤ46:3-4  ローマ8:38-39

 

おはようございます。

本日は、永眠者記念礼拝にお集まりくださり、ありがとうございます。

ここに、地上の旅を終えた方がたのお顔があります。この方々が今どういうところにおられるのか、わたしには具体的なことはわかりません。

けれども、この方々は、今、神さまの懐におられ、平安でおられ、そして、神さまを通して、皆さんとつながっておられると信じています。

まぶね教会では、この人びとのことを「永眠者」と呼んでいます。教会によっては、召天者、天に召された者、というところもあります。

永眠者という言葉には、永久に眠っている人、というイメージがあります。

けれども、わたしは、この人びとは、布団やベッドの中にいるようにぐうぐう眠っている、ということではないように思います。

眠っていると言いますが、眠っているということより、やすらかな顔をしている、とても幸せな顔をしている、この人びとが今やすらかである、この人びとが今幸せであるということが大事なのだと思います。

赤ちゃんの寝顔がやすらかなように、いや、大人になっても、熟睡している人の顔がおだやかなように、永眠者は、ぐうぐう眠っているというより、やすらかである、おだやかである、幸せであると考えるのがよいと思います。


なぜ、地上の旅を終えた人は、やすらかで、おだやかなのでしょうか。

それは、神さまが一緒におられるからです。

先ほどお読みいただいた聖書のなかにこうありました。

ローマの信徒への手紙8:38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、8:39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」

なんだか難しいことが書いてありますが、ようするに、神さまはわたしたちを愛してくださり、手を握ってくださり、その手を決してお放しにならないというのです。

どんな力でも、神さまをわたしたちから引き離すことはできない、神さまの愛からわたしたちを引き離すことはできない、というのです。死の力も、わたしたちから神さまの愛を引き離すことはできない、というのです。

 

ようするに、わたしたちが死んでも、地上の旅を終えても、神さまの愛は続きます、ということではないでしょうか。


つまり、この写真の人びとは、地上の旅を終えましたが、それでも、神さまの愛は続いている、神さまは、この人たちを愛し続けているというのです。

さきほど、永眠者の人たちは、やすらかで、穏やかだと思います、と言いましたが、それは、神さまが愛し続けていてくださるからだと思います。

神さまの愛は、わたしたちが生まれた時から、人生全体、そして、人生、つまり、地上の旅を終えても、つづくのです。

言い換えますと、神さまは、わたしたちが生まれる時から一緒にいてくださり、この地上の旅の間、ずっと一緒にいてくださり、その旅を終えた後も、ずっと一緒にいてくださるのです。

聖書をもう一か所振り返ってみましょう。

 

イザヤ書46:3 わたしに聞け、ヤコブの家よ/イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。

46:4 同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪(はくはつ)になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。

この言葉はどういうことを言っているのでしょうか。

これは、今から2500年前に、イスラエル民族は、外国で囚われの身となっていたのですが、そのイスラエルの民に、神さまが語り掛けている言葉なのです。

イスラエルの民よ、わたしは、あなたたちが生まれた時から、背負ってきた、と神さまが語り掛けているのです。

イスラエルの民よ、わたしは、あなたたちが母親から出てきた時から、あなたたちを担いできた、と神さまが語り掛けているのです。

これに続けて、神さまは「あなたたちの老いる日まで」「白髪になるまで」と言います。

つまり、神さまはわたしたち人間を生まれた時から、老齢になる日々まで、ずっと背負ってきてくださった、と言うのです。

言い換えますと、神さまは、わたしたちが生まれた時から今日に至るまで、ずっと、いっしょにいてくださり、わたしたちを愛し続けてくださった、と言うのです。

しかし、それは、わたしたちの老齢の日々で終わらず、わたしたちが地上の旅を終えた後も、それからもずっと、神さまはわたしたちと一緒にいてくださり、愛してくださるのです。それは、先ほどの聖書個所で見たとおりです。

つまり、これらの永眠者の皆さんは、産まれた時から、その生涯ずっと、さらには、地上の旅を終えた今も、神さまに伴われ、愛されている、ということなのです。

 

ですから、どうぞ、皆さん、ご安心ください。永眠者の皆さんは、今、平安です。

永眠者の皆さんは、今、天国で、平安です。

天国とはどういうところなのでしょうか。蓮の花とか、咲いているのでしょうか。

岩手県の中尊寺には金色堂と言って、金の輝きで、浄土を表現しているお堂があるそうです。しかし、浄土が、じっさいに、金色に輝いているわけではないでしょう。浄土などというところは、人間の言葉や表現を超えていますから、金色堂も、ひとつの表現、いわば比喩にとどまるものではないでしょうか。

キリスト教の天国も同じです。わたしも天国に行ったことがありませんから、天国がどういうところなのか、よくわからないのです。

そもそも、天国と聞くと死んだあと行く神さまの国というような気がしますが、聖書では、神さまの国とは、死んだあといく世界というより、生きている今も神さまの愛がわたしを治めてくれる、というような意味合いで言われているように、わたしには思えます。

わたしたちは、地上の旅を終えた後、旅行をするように地図上のどこかの場所にある天国、宇宙のどこかにある天国に移動するというよりも、世界の源である神さまのもとに帰るのだと思います。

これもあくまで比喩ですが、大地から、芽が出て、成長し、大きな木となり、その枝から落ちる葉が大地に帰っていくように、あるいは、その大木そのものがやがては倒れて、朽ちて、土に帰っていくように、わたしたちは、神さまという命の源から、この地上に命を与えられ、人生の旅をし、それを終えたなら、また、神さまのところに帰っていくのではないでしょうか。

そして、落ち葉が大地の中で安らかであるように、わたしたちも、わたしたちの源なる神さまの平安に抱かれるのではないでしょうか。

永眠者の皆さんは、今そこで、安らかでいらっしゃることでしょう。

わたしたちもやがてそこに帰っていきます。

神さまのいのちという大きな安らかさ、平安の中で、わたしたちは、永眠者との再会が待っているのです。

祈り。神さま、あなたは、永眠者に、命を与え、地上の旅を守り、地上の旅を終えた後も、いっしょにいて、愛し続けてくださいます。神さま、あなたは、わたしたちにも、命を与え、地上の旅を守り、そのあとも、いっしょにいて、愛し続けてくださいます。あなたからのこの平安に心から感謝いたします。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。


【今週の聖書の言葉】    「永遠のインマヌエル」  2026年11月1日

【今週の聖書の言葉】    「永遠のインマヌエル」

「死も・・・どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」(ローマ8:38-39)

地上の旅を終えた人びとは、神さまの懐に抱かれ、平安のうちにあり、神さまを通して、わたしたちとつながっていることでしょう。

この人びとを「永眠者」と呼ぶこともありますが、そこから連想されるのは、永久に眠っているというよりも、寝顔のように、やすらかでおだやかで、幸せであるということではないでしょうか。なぜなら、神さまが今も一緒にいて、愛し続けてくださるからです。

ローマの信徒への手紙8章は、死も命も、どんなものも、わたしたちを神さまの愛から引き離すことはできないと告げています。神さまは、わたしたちの手を握り、決してお放しになりません。地上の旅を終えても、その愛は続くのです。

また、イザヤ書46章では、神さまは、イスラエルの民に、生まれた時から担い、老いる日まで、白髪になるまで背負っていくと語られます。わたしたちも、生まれた時から今日まで、神さまに背負われ、愛されてきました。そして、その愛は、地上の生涯が終わった後も続くのです。

天国を人間の言葉で十分に言い表すことはできません。また、神の国とは、死後だけでなく、生きている今、神さまの愛がわたしたちを治めてくださることでもあるでしょう。わたしたちは、いのちの源である神さまから命を与えられ、この地上を旅し、やがて神さまのもとに帰っていくのだと思います。

地上の旅を終えた人びとは今、その神さまの平安に抱かれています。わたしたちもやがて、同じ愛の中に帰ります。そこに再会の希望を託し、今日も神さまに伴われて歩んでまいりましょう。