8 「人さまに働きかけるときにテメーに用いるべき技術」

 「対人援助の技法」(尾崎新)

 タイトルからすれば、この本は援助する相手に対して用いるテクニックを伝えようとしていると思われるかもしれませんが、そうではありません。この本で語られているものは、「援助者が自分にどのように関心を向けるか、自分の感情をいかに吟味するか、そして、自分の個性やもち味、あるいは援助に対する熱意をいかに活用するかなど、援助者が「自分に働きかける」技術」(まえがきより・・・)なのです。

 わたしは、いかに自分のことばかり語り、人の話を聞かないか、いかに関心が自分にばかり向かい、人に対する関心を持てないかということに二十数年前に気づいて、傾聴の努力をし始めたのは良かったのかもしれませんし、じっさい、昔よりは、人さまの声に耳を傾けるようになってきたと思いますが、それでも、じつは、そこにもろくでもないことが潜んでいるのです。

 ひとつは、「ああ、この人はわたしの話にじっと耳を傾けてくれた。この人は話をよく聞いてくれ、とても慰められる」・・・こういうふうに思われようという一心で、人の話を聞いております。イイヒトになりたいのです。好かれたいのです。つまり、スケベ根性に満ち満ちているのです。

 ふたつは、似たことですが、話をしている人を何とか慰めたい、という欲求が高いという点です。ここには、良い人と思われたいというエッチな考えは少ないにしても、「傾聴」という自分の「技術」で相手を操作したいという欲望があるのです。

 自分に働きかけるべきポイントは、このような自分の感情ばかりでなく、熱意や意気込み、援助観、自分の構え、姿勢、個性、もち味なども挙げられているのですが、ネガティブなわたしは、自分の色欲と欲望がつっつかれました。
 
 この欲望と同じ範疇ですが、尾崎さんは援助者の持ちがちな「全能感幻想」を指摘しています。この方法が唯一正しい方法である、自分がこの問題を解決できるはずだ、という全能感にしがみつくと、他の方法や自分の無力さを否定することになります。

 自分がこの人を救う、この問題を解決するという欲望を手放すことが、かえって、その人の救いや問題解決の端緒になることがある、これはすばらしい「対人援助の技法」の一つかも知れません。

 むかし、吉田拓郎が「人生を語らず」という曲で「あの人のための自分だといわず、あの人のために去りゆくことだ」と歌っていたことを思いだします。