2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧
個人の人生に起こることには社会的な背景がある。個人的なことに思えても、それは、じつは、社会的なことなのだ。 「失業のライフストーリーによって明らかになるのは、個人の失敗ではなく、より広い経済の仕組みである。同性愛は個人の病理ではなく、法律と…
1789年のフランス革命勃発あたりからを近代とみると、1864年生まれ1920年没のウェーバーは、近代の成人期から中年期を生きた、と言うことができるかも知れません。 本書は、ウェーバーがどういう意味で近代と格闘したと言うのでしょうか。 「究極的な『実体…
「精神なき専門人、心情なき享楽人、この無なるものが、人間性のかつて到達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れている」 著者によると、これはマックス・ヴェーバー(ウェーバーとも表記される)の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の…
プロテスタント信仰が初期資本主義の展開の駆動力になった、とウェーバーは言う。しかし、利潤を追求することと神を信仰することは矛盾するのではないか。 以下は、本書を読んで、厳密にではなく、浅く、あるいは、間違って理解した上での、ぼくの勝手な展開…
訳者によれば、本書の原題を直訳すると、「神の待機」となる。これには、「神が(わたしたちを)待つ」という意味と、「(わたしたちが)神を待つ」意味がある。 ぼくなりにこれを言い変えよう。「(わたしたちが)神を待つ」とは、「神が(わたしたち)を待…
本書に出てくる聖書の登場人物にとって、社会は出来事の背景・原因というよりも、むしろ行先・結果なのです。 この本の十のエッセイは、タイトルからの予想を裏切って、じつは、社会学の方法を用いた聖書解釈ではありません。それぞれのエッセイでは、中心と…
同じ机を十個作るとしよう。ひとりは、気が向いた時だけその仕事をする。脚を作っていたかと思うと、すぐにやめて、水を飲み、煙草を吸い、寝転がる。ようやく起き上がったと思うと、脚の製作の続きをするのではなく、天板にとりかかる。と思うと、これまた…
「マッチ売りの少女」は悲しいお話だった。だが若松さんは言う。「この作品は、生者と死者の世界を貫く悲愛の物語にほかならない・・・悲しみの種子が愛(かな)しみの花へと変貌していく物語」(p.127)。悲哀ではない。悲愛だ。ああ、マッチをするとはこうい…
訳者によれば、リルケは「実りない孤独を、豊穣な孤独にまで持ち上げ」「死を単なる死滅、消滅の意味から、われわれの生に意義あらしめる強大な力にまで高めた」(p.110)詩人です。 リルケは若き詩人に言います。「あなたの孤独を愛してください。そして、孤…
牧師になって三十年。だが、ボクはろくな牧師ではありません。六十歳にしてそう痛感することがまたあり、反省し、他の人に学ぼうと思い立ち、この本を手にしました。(というか、安い古本はないか探していたところ、著者のおひとりにご恵贈いただきました。…
とても読みやすい。とてもわかりやすい。 年収1000万を超える人もいれば100万に満たない人もいる。他方、夏が異常に暑くなったり、経験したことのないような大雨が降ったり、パンデミックが起ったりして苦しんでいる人びとがたくさんいる。 マルクス!とか資…