主人公のモデルは存在せず、すべて創作です、と著者は明言していますが、著者が認めるように、小説の舞台のひとつである同志社大学神学部の、わたしも聞いたことのある、N教授の小話をネタにしたエピソードが出てくることもあり、ある書評では、モデルとして二人の教授が推測されています。
そんなこともあり、同志社大学神学部の楽屋物語だろうと思って読み始めましたが、途中から、これは、神学小説であることに気づきました。と言っても、特定教派の神学ではなく、さらには、キリスト教の枠に収める必要もない神学です。
たとえば、「イエスの救いの業の本質とは、このザアカイの物語に見られるように、人々の交わりから切り離されていた罪人や病人や貧しい人々を、イエス自身との人格的な関係の中に招き入れることです」(p.26)とありますが、これは、「救済論」というものを、比較的平易な言葉で述べたものだと言えるでしょう。
「音のない声が私の頭の中に投げ込まれた」(p.27)。これも、「神の声を聞く」という神学テーマの一表現でありましょう。
「『救い』とは・・・ただイエスから語り掛けられるだけ。ただイエスから呼びかけられるだけ・・・俺が貧困に喘ぎ、病気に苦しみ、揉め事に辟易しているとき、イエスが側にいて寄り添い、俺の苦悩を分かち合い、共に耐え忍んでくれるのだ。『救い』とはただそれだけのことであり・・・それだけで十分なのだ」(p.29)。
「俺はただ「神を愛し、隣人を自分のように愛しない」と教えただけで捕らえられて十字架に付けられ、それでもなお人間を赦した方こそ「救い主」だと信じているだけのことなのだ」(p.46)。
このふたつの引用は青年や大人に向けた平易な救済論、そして、ふたつめは贖罪論と言えるでしょうが、この小説には、幼い子どもたち向けの救済論、贖罪論も登場します。
「神様は「どれほど辛いことなのか自分で体験してみよう」と考え、自分の独り子を地上に遣わしました・・・『我が子と死に別れるのはこんなに辛いことなのか。あの貧しい男の苦しみが今、やっと分かった。これからは生け贄を要求するのはやめよう』・・・イエスさまが十字架に付けられたときに神様がどれほど悲しんだかを思い出すだけで、人間は罪を赦してもらえることになったんだよ・・・イエス様に先立たれてから、神様は人が変わったようにやさしくなったんだ・・・人間の悩み苦しみに共感できる物分かりのよいお爺さんみたいになったんだ。それ以来、『愛の神』と呼ばれているんだよ」(p.67)。
神様が「人」が変わったようになるのか、物分かりのよい「お爺さん」というより、「お年寄り」とした方が、とか思わないでもないですが、贖罪論のじつにいきいきとした表現だと思います。
「永遠の命」も神学テーマのひとつです。
「私は時々、自分の寿命は後どれくらいだろうかと考えます・・・しかし、それは「私の命」と見なすから、そんなことを考えるのであって、実は「神の命」です。すると、それは永遠の命であることが分かります・・・「私の命」「「あなたの命」と考えると、長いものもあれば短いものもあるように思われますが、実は等しく永遠の命なのです・・・かつて神は、私が頼んでもいないのに、私に命を貸し与えられました。そして神はいつの日か、私が望んでもいないのに、私から命を取り上げられます」(p.156)。
この引用の最後のセンテンスふたつは「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」（ヨブ記1:21）の言い換えでしょう。
旧約聖書のヨブ記の物語では、ヨブは善人であったのに家族と財産を失います。それで、ヨブは、いったい神様は義（ただ）しいのかと苦悶します。神義論と呼ばれる神学議論です。
先に引用した子ども向けの「贖罪論」を併せて考えれば、イエスの物語（新約聖書の福音書）、つまり、神の独り子イエス・キリストの生と死の物語は、神さまもヨブと同じ体験をした神さま自身のヨブ記、神さま自身の神義論と著者は考えているのかもしれません。
そして、ヨハネ先生の人生もまた・・・これは、ぜひお読みください。そして、最後に目を潤ませてください。
