誤読ノート758 「売るために必要以上に作るのはもうやめて、今あるものをわかちあいましょう」  ・・・ 「マルクス解体 プロメテウスの夢とその先」(斎藤幸平、講談社、2023年)

 世界の環境をこれ以上悪化させず、自然資源を枯渇させず、世界の生物(人間を含む)を絶滅させないためにはどうしたらいいのでしょうか。

 

 マルクスにはそのような思想がなかったので参考にならない、という声が支配的でしたが、「資本論」だけでなく、彼の残したノートなどを丁寧に読み解いていくと、彼が資本主義による環境破壊を克服する思想を育てていたことが浮かび上がってきます。「マルクス解体」とはこのように彼の思想を再読、再構成していく腑分け作業のことでもありましょう。

 

 「でもありましょう」というのは、著者自身は「いわゆる「史的唯物論」という「生産力」と「生産関係」の間の矛盾を進歩の動力とする悪名高い歴史観に依拠するマルクス像を解体すること・・・これこそ本書に込めた想いである。そのうえで惑星規模の環境危機を前に人類の歴史を終わらせるような悲観主義や終末論に陥らずに、マルクス主義の観点から明るい別の未来を構想したい」(p.9)としているからです。

 

 また、「人新生という新しい地質学的概念を自然科学を超えて、経済学、民主主義、環境正義をめぐる現代の問題と結びつけることで、マルクスが構想していたエコロジカルなポスト資本主義の理念を現代に復活させることを目指すのだ」(p.12)ともあります。

 

 副題の「プロメテウスの夢とその先」とは、科学技術はどこまでも発展し環境問題をも解決し生産力はどこまでも向上するという「夢」はじつは悪夢だったのであり、現実は発展にも向上にも限界があり、しかも、限界に向かいながら環境を破壊するというこの悪夢の結末は、生物の絶滅になりかねない、ということでしょう。

 

 本書では、マルクスのみならず、マルクスの同時代人、継承者、批判者のテキストの分析によってマルクスの思想やその遍歴を検証していく作業が含まれていて、その部分やそれらの思想家の引用を読むにはなかなか骨が折れます。

 

 けれども、そういう部分は、斜め読みするか飛ばすかして、著者によれば、結局マルクスはどういうことを言ってきたのか、という要所を拾い読みするだけでも、大変意味があると思います。

 

 「本書でも繰り返し見たように、「マルクスエコロジー」の存在は、もはや否定できない合意事項となりつつある」(p.367)。

 

 つまり、本書はマルクス解体によって、これを検証しているのです。

 

 「本書を通じて明らかにしたように、マルクス1860年代以降、自らの以前の生産力主義的、ヨーロッパ中心主義的な立場をはっきりと放棄したのだった。この理論修正の過程を丁寧に追うことで・・・」(p.369)。

 

 「1860年代以降」とは、1848年 の『共産党宣言』や1859年の 『経済学批判』以降ということでもあるでしょう。「以前の生産力主義」とは、生産力は高まれば高まるほどよいと考えていたことでしょう。ヨーロッパ中心主義とはヨーロッパ以外の人びとを重視していなかったということでしょう。

 

 なお、「資本論」3巻の各巻は1868年以降に出版されていますが、「マルクスは、特に晩年、自然科学をかなり熱心に研究し、環境問題についてのさまざまな抜粋やコメントを記したノート群を大量に残したが、「資本論」草稿に新しい知見を取り込むことができなかった」(p.28)と著者は言います。とくに、第2巻、3巻はマルクスの死後エンゲルスが編集したものであり、エンゲルスマルクスの新しい知見をそこに載せなかったと。それどころか、「ときにはマルクスの書いた原文を加筆・修正することもあった」(p.73)と。こうしたことは、著者らがマルクスの残したノート群を綿密に検証した結果の発見です。

 

 このような最新のマルクス研究を土台として、著者は「脱成長コミュニズム」を唱えます。「脱成長」とは、環境破壊、資源枯渇につながる経済「成長」から脱出することであり、コミュニズムとは、世界の「富」(自然資源、社会的資源を含む)をコモンとしてわかちあう社会のことです。

 

 「脱成長コミュニズムは、所得と資源の公平な(再)分配によって・・・自然環境への負荷を軽減するために、不要なものの生産量も減らす」(p.354)。

 

 「所得と資源の公平な(再)分配」が「コミュニズム」ですが、これは従来の共産主義国家のようになることを意味しません。「自然環境への負担を軽減する」が「脱成長」です。

 

 「破壊的で贅沢で無駄な製品を欲しがるのではなく、人びとはより健康的で、連帯した、民主的な生き方を望むようになるのだ。このように、脱成長コミュニズムは、生産性の向上だけに依存することなしに、さらには生産を縮小することによっても、「自由の国」を拡大する」(p.355)。

 

 「マルクスの脱成長コミュニズムの理念は、「協同的富」の「ラディカルな潤沢さ」を基盤としている。商品と貨幣がもたらす人工的希少性を廃棄し、社会的・自然的な富を他者と共有することによって、「コモンとしての富」の潤沢さを増大させる。そうすれば、無限の経済成長は必要でなくなるのだ」(p.356)。

 

 富は、自然や人間を略奪することによってではなく、むしろ、わかちあうことで、社会的な富として形成されるのです。わかちあい、公平な再分配そのものが富でありましょう。


https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E8%A7%A3%E4%BD%93-%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%83%86%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%A4%A2%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%85%88-%E6%96%8E%E8%97%A4-%E5%B9%B8%E5%B9%B3/dp/4065318319/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=3PMFG58G236LV&keywords=%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E8%A7%A3%E4%BD%93&qid=1700095914&sprefix=%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E8%A7%A3%E4%BD%93%2Caps%2C221&sr=8-1