626   「偏狭宣教師を越えて」・・・ 「教会教を越えて ハウレット宣教師が北海道で見つけたもの」(フロイド・ハウレット著、大倉一郎訳、2021年)

 宣教師とは何でしょうか。ある宣教師は、アメリカのキリスト教を日本に教えようとしました。そういう考えは古いと宣教師仲間に批判されたにも関わらず、自分は何と言われようとそうすると。ちなみに、この宣教師は、教会は精神科の代わりではない、と言って、教会が人びとの精神の苦しみに向かい合うことにも否定的でした。

 わたしは、宣教師は、行った先で、自分や自分を派遣する側の考えを伝えるよりも、行った先の人びとの信仰や神学や生活、人生を学ぶことが大事だと思います。

 

 この意味で、ハウレットさんはひじょうに尊敬できる宣教師だ、とこの本を読んで思いました。

 

 「宣教師たちは、非キリスト教徒を『改宗させること』という発想をたずさえて海外渡航した。そして母国の教会や教派のイメージで教会を建てる。わたしたちにとって幸運だったことは、わたしたちを支援したカナダ合同教会は、そのような期待を持たなかったことだ」(p.13)。

 

 そのような教会から派遣された宣教師と教会で出会えることは非常に幸せだと思います。

 

 本書は、ハウレット宣教師の生涯、出来事、したこと、信仰、思想の一部を読むことができます。ある人の人生を読むことは、人生の前半の人にも、後半の人にも、心躍る有意義なことではないでしょうか。

 

 同時に、本書では、キリスト教会が北海道でしていた活動の一部も読むことができます。日曜日以外のこと、教会の建物の外での、農業や牧畜業のことも含まれています。北海道のキリスト教についてまったく知らなかったわたしにはとても貴重な経験になりました。

 

 ハウレット宣教師は、キング、グティエレス、民衆神学、金芝河、コーン、フェミニスト神学、リューサー、ラッセル、ゲイ/レズビアンの解放の神学などに触れており、それらはコンパクトにまとめられ、解放の諸神学の概要にもなっていますが、桶浦誠や賀川豊彦内村鑑三らの信仰、神学にも学んでいます。

 

 賀川、内村の考えの中には改められるべきものがあることは広く知られていますが、わたしが評価したいのは、日本で教えるのではなく、日本で学ぶ、という宣教姿勢、宣教師性です。日本語で書かれた神学思想だけでなく、キリスト教以外の日本の宗教、日本の教育問題や成田空港建設問題など、謙虚に深く学んでいると感心しました。

 

 また、わたしは初めて聞く名前ですが、著者がディアマット・オマフから学んだことを、巻末辺りでわかちあってくれていることは、とてもよかったです。

 

 「イエスにおいて受肉したものとして神を神学的に考える必要がなくなる・・・イエスにおける神の受肉という神話はすべて、幾つかの空想的な神学上の推論に導く。たとえば、三つの位格における神、世の罪を取り除く贖罪的犠牲としてのイエスの役割などだ。イエスにおける神の受肉の教理を拒否することは、イエスの生涯と死の中に、神のユニークな啓示を、わたしたちの人生の原型になる得るものとして見るのを妨げるものではない」(p.276)。

 

 著者はオマフに導かれてこのように論じていますが、では、イエスにおける「神のユニークな啓示」、「わたしたちの人生の原型」とは、どのようなものでしょうか。

 

 「わたしたちがイエスの人格と教えに知り得ることは、倣うに値する人生の道を指し示されることだ。この世の悪魔に対する彼の応答や、迫害の下で復讐を追い求めるよりむしろ苦難に備えた心構えはひとつの原型なのだ。神に従うのは難しいけれども、たしかに、わたしが努めるための目標だ」(p.269)。

 

 イエスのように生きることは難しいですが、だからと言って、そんなことはできないと諦めたり居直ったりするのではなく、イエスを「ひとつの原型」として、灯台として、わたしたちは努力するように招かれているのではないでしょうか。

 

 「イエスが持っていた期待は、わたしたちのすべてが、神の子となることだ。彼が言うのは、神の霊は、慈悲、共感、赦し、分かち合い、正義のために働くこと、平和のために働くこと、それらの人間的な相互の交わりの中に明らかに存在するということだ。わたしたちが、それらのことを行うとき、神の愛はわたしたちの中にいる。イエスはさらに言う。クリスチャンだけでなく、神の霊はすべてを通して働く。愛、喜び、正義、平和が明らかなところはどこであっても、そこに神がおられる」(同)。

 

 「人間的な相互の交わり」とありますが、オマフは、バシレイアをKingdom of God ではなく、Kindom of Godと訳したそうです。訳者はそれをさらに「神の同胞の国」と訳しています。「神の同胞」の中には「神の子」も含まれるのでしょう。

 冒頭で挙げたような宣教師でなく、ハウレットさんのように、幅広い、懐の深い、柔軟な、という意味で、ゆたかな信仰、神学を持った宣教師と出会った人びとは、幸せでありましょう。

 

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