深田未来生さんは同志社大学神学部の教員であり、ぼくは学生でした。授業は一コマしかとったことがなく、個人的にとくに親しいわけでもありませんでした。
覚えていることは限られています。
神学部の建物のたしか4階に教員研究室が並んでいて、先輩に誘われてその廊下に座り込んで煙草を吸っていたら、深田さんが灰皿を持って出てきて、「これを使えよ」とニコッと笑ったこと。
深田さんから聞いた話を不用意に他の教員に話してしまい、そのことを詫びようと、自宅に電話したこと。そのときの深田さんの声が厳しくなかったこと。
卒業後、友人の結婚式でひさしぶりにお会いして、「林です、覚えておられますか」とお訊ねしたら、「覚えているよー」と笑って答えてくださったこと。
あとふたつは、この本にも出てくることです。
「私は四十代半ばに大腸がんの手術を二回受けた」(p.61)。
これは、ぼくが在学していた頃のことだと思います。たばこの先輩からそのことを聞いた記憶があるからです。それで、深田さんは余命が長くないのではないかと勝手に思いこんだのですが、八十代後半の現在まで生きておられます。とてもうれしいことです。
「私は神学部によって託された説教学を使命として学び、考え、自分自身も説教に取り組み、多くの学生と共に、語られる神の言としての説教を三十八年間にわたって追及したのであった」(p.65)。
わたしもその学生のひとりであり、これが唯一とった深田さんの授業でした。
が、
「説教とは、聖書を味わい『食しながら』、その言葉を聞く者にも、語る人が食した『魂の糧』が与えられるように、言葉を語る全人的な作業なのである」(p.66)とか
「本当に良い説教とは、語る者と聞く者とが共に良く『聴く』努力をしつつ生きている文脈において、生命を分かち合っている『仲間たち』と共に、『聴いた言葉・聖書』を味わい、食べることだと思っているのである」(同)とかいった
三十年以上説教をしてきた今だからうなずける言葉を、当時は少しも注意して聴いていませんでした。でも、今、深田さんのこの言葉に触れることができてよかったです。
「説教者とは、その手がかりから、メッセージを紡ぎ、全存在を傾け、神の言を自らの体にしみ込ますように、共同体の隙間を見つけメッセージを注ぐのである」(p.68)。
「共同体」とありますが、これは、本書における、そして、おそらくは、深田さんの信仰・神学におけるキーワードかもしれません。
「共に責任を担うために価値観に基づく共同体の大切さを痛感します。教会を含めて
様々な相違があっても、お互いの命を尊重し、知恵と力を持ち寄って養い合い、一番良い方法と方向を考えていくときに、重い責任を担うことができると信じるのです」(p.132)。
神学教育においても「お互いを欠かすことのできない同労者、同志として受け入れていくよう、共同体を成長させるための努力」(p.141)が必要だと深田さんは述べています。
「同志」とありますが、これも大事なポイントでしょう。「私の願いは志を分かち合える人々を求め続けることです。既に知っていて目に見える『同志』だけでなく、未知で、ことによると生涯顔と顔とを合わせて出会うことがないかもしれない『同志』と心を共にして真の平和の実現のために努める仲間が増えることです。私は不思議な『見えざる御手』の働きによって長きにわたって同志社に用いていただきました」(p.177)。
この本で深田さんが若いころ日本を脱出してアメリカで学んでやがて日本で働くようになったことを知り、わたしは、同志社の創立者である新島襄や、同志社の教授だった鶴見俊輔の若いころの話を思い出しました。」
「目に見える『同志』だけでなく」という点が大事だと思います。同志とは、人脈や利益ではなく、志を同じくすることです。それは、深田さんが言うように、いのちの尊重において一元でありつつ、思考、信仰、心情、背景などにおいて多様である人びとと、他を否定するのではなく、他から学ぶことで共に成長するという志でありましょう。
木村利人さんについては、「幸せなら手をたたこう」の訳詞者であることには驚きました。また、敗戦直後の教科書「あたらしい憲法のはなし」に言及し、そこには「これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます」とあると指摘しています。そして、この教科書を読み返して、「『学問と思想の自由が徹底的に抑圧され』『人間を尊重せず』『多くの国民を死に至らせた』軍国主義国家の全体が腐り果てて、内と外から完全に崩壊したと思った」(p.167)と述べています。また、アジアの人びとへの加害についても語っています。
ボクが小中学生のころ受けた敗戦後の民主主義教育が思い出されました。