巻末で若松英輔さんがつぎのように書いています。
「人は死んでも「死なない」。むしろ、「いのち」として新生することを、詩は私たちにそっと教えてくれる」(p.161)。
その「いのち」は、ブッシュ孝子さんの詩の中にすでに表れています。
「あの日以来 私の心は
不安におののき あこがれにやかれ
一点の青空を求めて 黄色い空の中をただひたすら
とびつづけているのです」(p.15)
「あこがれ」はその「いのち」、「一点の青空」はその住まいではないでしょうか。
「私は信じる
私にも詩がかけるのだと
誰が何といおうと
これは私のほんとうのうた
これは魂のうた」(p.40)
「魂」はその「いのち」、詩はその「いのち」の歌だと思います。
「暗やみの中で一人枕をぬらす夜は
息をひそめて
私をよぶ無数の声に耳をすまそう
地の果てから 空の彼方から
遠い過去から ほのかな未来から
夜の闇にこだまする無言のさけび
あれはみんなお前の仲間達
暗やみを一人さまよう者達の声
沈黙に一人耐える者達の声
声も出さずに涙する者達の声」(p.104)
「無数の声」「無言のさけび」「お前の仲間達」「暗やみを一人さまよう者達」「沈黙に一人耐える者達」「声も出さず涙する者達」は、ともに苦しむ者たちであり、天使であり、若松さんの言う「いのち」のようにわたしには思えます。
「詩は生命(いのち)から生まれる
生命は詩から生まれる
そんな詩でなければ詩とはいえない
そんな生命でなければ生命とはいえない」(p.118)
やはり、詩は「いのち」なのです。
「誰でも人は自分の奥深く
暗くよどんだ泉をもっている
・・・・
泉の中にもっと広い世界が
広がる予感にうちふるえながら
それはお前のやってきた世界か
それはおまえのもどっていく世界か」(p.123)
わたしたちの奥深くには「暗くよどんだ泉」がありますが、そのさらに奥には「もっと広い世界」「やってきた世界」「もどっていく世界」があります。自分の深奥のこの世界は、まさに「いのち」でありましょう。
「ああローソク
お前の丸やかな静かなひらめきの中には
古しえからの無数の灯と
古からの無数の人の祈りとが
ひそんでいる気が私にはする」(p.144)
「古しえからの無数の灯」「古からの無数の人の祈り」、まさに、これが「いのち」です。