ああ、うつくしい本です。
栞の紐のやわらかさ、まぶしさ、輝き、品位に驚きました。
カバー、帯、そして、挿絵が、また、うつくしい。
若松さんの言葉が、こんども、うつくしい。
ただ、今回は日本経済新聞に連載されていたということがあってか、この本は、ぼくにとって、なんだか「実用的」にも思えました。
いや、「身近」と言った方がよいでしょうか。
どこまでも深い、それでいて凪の海に身をゆだねるような、若松さんを読むときの変わらない感覚もあるのですが、どうじに、ぼくの日常に重なっているという喜びもあるのです。
「人は軽い言葉に全身をゆだねることはできない」「「頭」で考えただけの言葉は、それを聞く人の「頭」を刺激する。このとき相手は話されていることに納得し、理解はするが、本質的な影響を受けることはほとんどない」「「心」から出た言葉は「心」に届く」(p.10-11)。
ぼくはほぼ毎週日曜日キリスト教会の牧師として何十人かの前でお話をします。人の根本の拠り所は神である、神はわたしたちとともにいる、神はわたしたちを無条件に愛する。これを伝えたいと思っていますが、このように三つにまとめること自体「頭」で考えているのではないでしょうか。この三つの言葉の奥にある言葉にならない何ものかに「心」で触れなければならないのです。聖書を読んで「心」で受け止め「心」で語り「心」に届けることをあらためて祈り求めたいと思います。
「沈黙の世界こそが、故郷と呼ぶべき場所である」「黙っていても心のなかでは言葉が渦巻き、眠っていても夢のなかで言葉はその活動を止めない。そうした時間は必然的に「嘘」を伴う」「一日のなかで、どんなに短くても、嘘と関係を断てるひとときを生まねばならない」(p.25-26)。
たとえば誰かに傷ついたとき、傷つけた相手に何と言ってやろうか、どうしてやろうか、その言葉で、ぼくの心はいっぱいになってしまうことがあります。まさに渦を巻きます。けれども、必要なのは、相手に言う言葉の並べ立てではなく、沈黙なのです。何かを言うより、沈黙の方が、相手との平和にも近いのではないでしょうか。
「機会は、いつやってくるか分からない。これだけは慣れるということもない。私の場合、書くという営みの大部分は、光の訪れを待つことに費やされる」(p.40)。
ぼくは毎日曜日に話すことを前もって数千字の原稿にしています。他の仕事もありますから、そればかりに長い時間も裂けません。なるべく早く書いてしまいたいと思います。たしかに慣れるということはありません。それでも何とか書こうとして、光を落ち着いて待てないことがほとんどです。それでも、朝、机の前を離れて、庭の水やりをしているうちに、ほのかな明りが訪れることがあるように思います。短い時間でも、書こうとするのを止めて、光を待ちたいと思います。言葉にしよう文字にしようと焦りパソコンの入力にすぐに取り掛かってしまう前に、しばし、言葉を離れて、沈黙したいと思います。
「文学、芸術、哲学、あるいは宗教に関するものである場合は特に、目にしている文字の奥に書き記し得ない意味を読み取らねばならない」(p.44)。
「「釈」とは、固まりを解きほぐすように意味を明らかにすることである。作者が書き得たことだけでなく、書き得なかったことを読み取る」(p.135).
日曜日の話を準備するために、週日に聖書を読みます。まずは、書かれていることの意味をつかもうとします。それで満足し、それを語ります。聴き手の「頭」には届くかもしれません。わかりやすい、と言っていただくことは少なくないです。けれども、さらには、文字の奥にある意味に、作者が書き得なかった何かに、なんとか触れて、それをなんとか言葉にして、「心」に届けたいと願います。
「「言葉よ、力を貸してくれ」・・・その声には自分でも驚いたが、素直なおもいでもあった。言葉を使うのではなく、言葉とともに仕事をする。こうした書く態度が、雷鳴が天空を走るように私の内心を貫いた」(p.95)。
「言葉」は道具なのではありません。力を貸してくれる相手、同労者なのです。言葉を「使う」、使用人にするのではなく、むしろ、友として「仕え」、力を貸していただくべきなのです。
「文章を書くとは、暗がりの「明」を信頼しつつ、言葉と対話をすることにほかならないからである」(p.119)。
たしかではないが、暗闇の中に仄かなあかりがある、それが何なのか、どのように表現するのか、祈りのようなこの作業の同労者が言葉なのです。
若松さんは「読むと書く」ということを言われますが、やはり日々読み日々書くぼくにとって、この本はこのように「実用的」いや「身近」なのです。
「人は誰も、内なる世界にももう一つの海を持ち、大地を宿している。心が波打つ。心に花が咲く、という表現がこのことを暗示している」(p.160)。
若松英輔さんの言葉は、栞の紐、カバー、挿絵とともに、うつくしい。
この本では、言葉とコトバが、同質の何かに触れているからでしょう。