この本のタイトルを見て、悪質でない差別があるのか、差別というものはそもそも悪質なものなのではないか、と思う人もいるのではないでしょうか。
あるいは、区別は悪質ではないが、差別は悪質だ、と考える人もいるでしょう。
けれども、差別という言葉は、「他社の類似商品との差別化をはかる」などというように使われることもあります。この場合は「差別」は「区別」と同じ意味で使われています。
ですから、このタイトルは、区別はいつ差別になるのか、と言い換えることもできるでしょう。この場合、区別とは、一月生まれの人は第一教室に、二月生まれの人は第二教室に入ってください、というようなことであり、差別とは、男性は採用しますが、男性以外の性の人は採用しません、というようなことです。
じつは、この本は読んでいてあまりにも難解なので、というより、センテンス単位で日本語として意味ができないセンテンスがあまりにも続くので、始めの十数頁だけ読んで、あとは結論だけを読むことにしました。
原文が難解なのか、訳が良くないのか、わかりませんが。
で、結論は、「重要なのは、人々の間に区別を付ける際に、下位に置くような仕方で私たちが扱っている人がいるのか、である」(p.266)ということです。
つまり、AとBで、Bを下位に置くような仕方で人を扱うことが、差別だということです。この本のタイトルの言い方で言えば、そのような場合、「差別が悪質になる」、ということです。男と男以外の性という区別において、男以外の性を男の下位に置くことが、差別だということです。
「ある人々を他の人々よりも道徳的に価値が低いものとしてランク付ける仕方で、人々を差異化する場合」(同)が(悪質な)差別である、と言うのです。
この場合、「道徳的な価値」とは、「人格に備わる固有の尊厳と価値」(p.10)のことであり、著者は、「人格には、お互いを尊敬して扱うように要求する価値、あるいは固有の尊厳がある」(同)と言います。つまり、人間には互いに尊敬されるべき価値があるのに、誰かの価値は低いと位置づけることが差別だということなのです。
訳者は、本書の基本的立場は「ある行為や政策が区別される人々の一部を貶価(へんか)する場合だ」(p.270)としています。
「ヘルマンによれば、差別が悪質になるのは、特定の文脈で、ある種の仕方で人々の間に区別を付ける行為が、一方の人々を、他の人々よりも価値が劣ったものとして貶める行為としての意味をもつ場合である」(p.272)。
これは、わたしにも理解できました。けれども、この結論なら、途中の難しいところをすっ飛ばして、結論だけ読むことにして、正解だったと思いました。ストレス回避ができました。
この本で、国籍、職業、性、民族、人種、学歴などの属性と差別の問題をどのように論じたかは、結論部を読むだけではわかりませんでした。