2021-01-01から1年間の記事一覧
「精神なき専門人、心情なき享楽人、この無なるものが、人間性のかつて到達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れている」 著者によると、これはマックス・ヴェーバー(ウェーバーとも表記される)の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の…
プロテスタント信仰が初期資本主義の展開の駆動力になった、とウェーバーは言う。しかし、利潤を追求することと神を信仰することは矛盾するのではないか。 以下は、本書を読んで、厳密にではなく、浅く、あるいは、間違って理解した上での、ぼくの勝手な展開…
訳者によれば、本書の原題を直訳すると、「神の待機」となる。これには、「神が(わたしたちを)待つ」という意味と、「(わたしたちが)神を待つ」意味がある。 ぼくなりにこれを言い変えよう。「(わたしたちが)神を待つ」とは、「神が(わたしたち)を待…
本書に出てくる聖書の登場人物にとって、社会は出来事の背景・原因というよりも、むしろ行先・結果なのです。 この本の十のエッセイは、タイトルからの予想を裏切って、じつは、社会学の方法を用いた聖書解釈ではありません。それぞれのエッセイでは、中心と…
同じ机を十個作るとしよう。ひとりは、気が向いた時だけその仕事をする。脚を作っていたかと思うと、すぐにやめて、水を飲み、煙草を吸い、寝転がる。ようやく起き上がったと思うと、脚の製作の続きをするのではなく、天板にとりかかる。と思うと、これまた…
「マッチ売りの少女」は悲しいお話だった。だが若松さんは言う。「この作品は、生者と死者の世界を貫く悲愛の物語にほかならない・・・悲しみの種子が愛(かな)しみの花へと変貌していく物語」(p.127)。悲哀ではない。悲愛だ。ああ、マッチをするとはこうい…
訳者によれば、リルケは「実りない孤独を、豊穣な孤独にまで持ち上げ」「死を単なる死滅、消滅の意味から、われわれの生に意義あらしめる強大な力にまで高めた」(p.110)詩人です。 リルケは若き詩人に言います。「あなたの孤独を愛してください。そして、孤…
牧師になって三十年。だが、ボクはろくな牧師ではありません。六十歳にしてそう痛感することがまたあり、反省し、他の人に学ぼうと思い立ち、この本を手にしました。(というか、安い古本はないか探していたところ、著者のおひとりにご恵贈いただきました。…
とても読みやすい。とてもわかりやすい。 年収1000万を超える人もいれば100万に満たない人もいる。他方、夏が異常に暑くなったり、経験したことのないような大雨が降ったり、パンデミックが起ったりして苦しんでいる人びとがたくさんいる。 マルクス!とか資…
男性であり、父親であり、教師であり、牧師である人がいたとする。この人は、男性とはどのようなものなのか社会から学び、社会が期待するような男性になる、あるいは、なろうとする。 この人は、父親には子どもの養育の責任があると社会から学び、それに沿う…
「宗教は人間の自己外在化の極致」「宗教とは宇宙全体を人間的に意味ある存在として想念する大胆な試みなのである」(p.56)。 宗教だけでなく社会は人間が自分の外に創り出したもの、とバーガーの社会学では見なされます。人間は、自分の生み出す宗教によって…
コロナウィルス感染が広まった世界や日本は、現在どのような社会なのだろうか。これを機に、(あるいは、これに影響されずに、あるいは、他の要因と相まって)、これからどのような社会になっていくのだろうか。あるいは、現在に至るまで、社会はどのように…
誤読ノート546 「自分が救われていれば、共通善は求めなくてよいのか」 「カトリシズムにおける人間」(三雲夏生、1994年、春秋社) 著者は、遠藤周作、ジョルジュ・ネラン神父らを友人に持つカトリック信徒であり、慶応文学部の教員を務めた。 ぼくは、この…
聖書の女性と言えば、エバとマリアくらいしか、すぐには出てこないかもしれません。けれども、それ以外にも、じつはたくさんの女性が登場します。マリアという名の女性もイエスの母一人ではありません。 この本は、そうした聖書の女性たちの物語を、聖書の物…