牧師になって三十年。だが、ボクはろくな牧師ではありません。六十歳にしてそう痛感することがまたあり、反省し、他の人に学ぼうと思い立ち、この本を手にしました。(というか、安い古本はないか探していたところ、著者のおひとりにご恵贈いただきました。まことにありがとうございます)
本書は、ひとつは、聖書やキリスト教思想史を背景に、望ましい牧師の姿が、何人かの執筆者によって描かれています。
「人々から信頼されるに足る誠実で公正な姿勢」「与えられた課題と使命に対して着実に粘り強く取り組むこと」「牧師としての専門的な知識や技術と共に幅広い分野にまたがる一般教養的な知識や常識を身につけること」「いろいろな人々とコミュニケーションする力」(p.29)。
ボクのことを信頼し誠実だと思ってくださる方々もいますが、信頼できない、不誠実だと思っている人もいるようです。仕事は着実にする方だと思いますが、深くないかもしれません。本を読む時間は長いですが、遅読と誤読で、読んだ端から忘れます。人とコミュニケーションをとったつもりですが、相手はそう思っていない場合がありました。
「人々のこれまでの生き方に否を唱え、これまで望んで来たものとは異なるものを望ませ、これまで信じて来た価値観に変えて、神の国に根拠を持つ価値観を抱かせる」(p.113)。
人の生にとって一番大切なもの、頼りになるものは、お金でも名誉でも人間関係でも健康でも学歴でも業績でも能力でもなく、神である、神こそがわたしたちの根源であり創造者であり、究極的な支えである、このような価値観を志向させ、教会の礼拝を中心にした信仰生活に招き入れることは至難の業です。
ボクにはそんな力はありません。ボクによって導かれた人はいません。すでに教会に来ている人々からさえ、キリスト教的な価値観の奥に招こうとして、猛反発を受け、斥けられたこともあります。ぼくには人を導く力はありません。あるいは、ボクの導く先が間違っていたのでしょう。
ボクは牧師ですが、本書が示す望ましい牧師像からはほど遠い者です。
しかし、幸いなことに、本書には牧師の理想像だけでなく、実際の経験も記されていて、それには、もちろん、ボクにはできないこともありますが、ボクもそうだよ、ということもありました。
「牧師の職務は、孤独なものです。神との関りにおいて、信徒には受け入れられないような決断をせざるをえない時があります。真理問題において譲れない場合もあります。良かれと思ってやったことが、誤解され拒絶されることもあります」(p.311)。
ボクもこのように思う場面がいくつもありました。ただ、「神との関りにおいて」や「真理問題において」ということで、自分の主張を自分に対して正当化したこともあります。
ボクはもうしばらく牧師を続けるつもりですが、この本で描かれている牧師像や執筆者たちからはほど遠い道のりになることでしょう。
ボクにかけるものはシです。死、史、詩、師、支、四、紙、士、志、仕・・・です。