547 「めがね、望遠鏡としての社会学」・・・社会学(新版)」(長谷川公一他、2019年、有斐閣)  

 

 コロナウィルス感染が広まった世界や日本は、現在どのような社会なのだろうか。これを機に、(あるいは、これに影響されずに、あるいは、他の要因と相まって)、これからどのような社会になっていくのだろうか。あるいは、現在に至るまで、社会はどのように変わってきたのだろうか。その要因は何なのだろうか。これから先の社会学の本には、2020年以降のことはどのように書かれるのだろうか。

 東日本大震災と大津波放射性物質汚染、阪神淡路大震災、高齢化、スマホSNS、収入格差と貧困、セクシャルマイノリティ差別、グローバリゼーション、反知性主義・・・

 

 本書は、社会学の基礎知識だけでなく、20世紀、21世紀の世界や日本の社会の変遷と現状、そして、現代社会の諸問題を500頁にわたって記述している。

 「どうして犯罪のない社会はないのだろうか・・・犯罪とは行為そのものに客観的に備わっている性質ではない。社会によって犯罪的だとして非難される行為がそのつど犯罪とされるのである」(p.19)。

 

 これは、ある時点の社会学が考える「社会」の一面を描いている。たしかに、ある社会では「ニ十歳未満の飲酒」は犯罪とされるが、他の社会ではそうではない。しかし、ほとんどすべての社会において、殺人は犯罪であろう。殺人という行為に犯罪という性質が客観的に備わっているわけではない、などと言えるのだろうか。

 「印刷技術の発明によって・・・印刷された本は黙読されるようになり、視覚が他の感覚から切り離される・・・メディアという視点からみれば、印刷された書物や新聞を読むという経験によって作り出された、国民という想像の共同体」(p.149)。

 

 「国民」「国家」という社会が最初からあったわけではない。印刷技術がそのような想像を促した、とある社会学は考える。

 

 「貧困層から中流階層へという福祉国家のターゲットの変化は、『中流階層による福祉国家の植民地化』と厳しく批判されることもある」(p.284)。

 たしかに、社会福祉が守ろうとするものは、低所得者障がい者のような被差別者の生存権から高齢者のそれにシフトしているように思われる。

 

 「人びとを動員していくのは、階級的な関心というより、人びとの共有する価値観や文化となってきている」(p.497)。

 

 たしかに、反原発、反放射性物質汚染、反セクシャルマイノリティ差別、反安保法制などの社会運動には、それがあてはまるだろう。社会学のそのような分析を受けて、それでよし、とするのではなく、ここで、あらためて、現代の階級差別を見抜かなければならないだろう。

 

 社会運動を階級闘争に還元する必要はなく、むしろ、文化や価値観からの体制への抗議を尊重すべきだが、その文化や価値観の中にも階級差別的要素がないか検証する必要はあると思う。

 

 社会学とは、自分の立っているステージとその土台をよく見るためのメガネであり、つぎのステージを展望する望遠鏡のようなものだろうか。

 

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