784 「ある批評家の揺籃期」 ・・・「藍色の福音」(若松英輔、2023年、講談社)

 若松さんは、大学卒業のころだろうか、神経を病んだ、と言う。

 

「原因は実社会で働くことへの怖れもあったのだろうが、それは、ある意味で表層の理由に過ぎない。逃げようとしていたのは、自分自身からだった。ただ、そのことが実感できるまで、短くない時間を要した。

 病名はいくらでも付く。複数の、さまざまな専門医を訪ねた。文字通り、心身両面の可能性を探り、東洋医学のように心身一如として捉える医師にも相談した。

 今から思えば、病を見ていた医師がほとんどで、人間を見た、あるいは診た人は、ほとんどいなかったように思う」(p.358-359)。

 

 けれども、若松さんは、短くない時間をかけて、彼を見た人、あるいは彼を診た存在たちとの出会いと逢瀬を重ねた。「自分自身」を掘りさげた。けれども、それは、軽く言われる「本当の自分発見」などとはまったく関係のないものだ。

 

 何が彼を見、診たのか。自分自身とは何か。本書はその旅の、そして、ある批評家誕生の一エピソードと言っても零点ではないかもしれない。批評家とは採点者のことではない。書かれたもの、目に見えるものの奥に、見えないもの、現象の根源を見る人のことだ。


 ぼくも神経を病んだ。28歳でようやく大学を出て、小さな出版社に入ったが、数か月で退社して、親の家に帰った。探して、大学病院でやっと手にした病名は自律神経失調症だった。

 

 しかし、ぼくはそこから、「自分自身」を求め始めたのだろうか。臨床心理学の本はかなり読んだ。傾聴を説く本には自分が傾聴されているようなやすらぎを覚えた。それ以前に関心を持っていた社会的なことがら、さまざまな差別、それからの解放の問題と、あらたに現れた心の問題を橋渡ししてくれたのは依存症が専門の信田さよ子さんの本だった。

 

 けれども、ぼくは若松さんのような批評の道を知らなかった。ただ、まったく無縁だったわけではないかもしれない。ぼくは親元で半年過ごした後、子どものころから属していたキリスト教会の牧師になるべく、神学校に進んだ。

 

 批評家と牧師の違いは、牧師は、キリスト教というあまりにも特定された世界で「目に見えないもの」を語るということだ。ぼくにとっての若松英輔さんは、その反対だった。

 

 彼の本を手にとってから十年余だが、ぼくは彼の「死者」という言葉から読み始めた。そして、何年かして、彼がカトリックであることを知り、また、彼もここ何年かは以前よりそれを前に出しているように思う。批評からキリスト教へ。キリスト教から批評へ。反対のように見えるが、同じ道でもあるかもしれない。

 

 この本は本当におもしろい。教えてくれるし、問うてくれる。

 

 「「書かれていない」ものを読む。それが「読む」ということの秘儀である。こうした経験に裏打ちされた自覚がある作家にとって、「書く」とき、文字の奥に書き得ないものを潜ませることになるのは自然なことだろう」(p.9)。

 

 若松さんには「イエス伝」という一冊がある。歴史上のイエスという人物についての歴史研究を読みかじっているものからすれば、史実を把握していない、ということになろう。けれども、歴史学者は「書かれている」ものを研究するのだが、若松さんは「福音書」の文字には「書かれていない」、その奥底を読んだのだった。

 

 ぼくも「書く」。毎日曜日の教会の礼拝での説教、また、聖書についてのエッセイをよく書く。しかし、それら何千字の奥に、書き得ないものを潜ませていなかった。文字で伝えようとしていた。文字しか伝えていなかった。

 

 「言葉の奥に、コトバを読み取る。その彼方にあるものを見定めるために何かを書こうとしているかもしれない」(p.26)。

 

 ぼくは聖書の文字の奥に、言葉、「その彼方にあるもの」を読み取って来ただろうか。これからもしばらく何かを書くのだが、書きながら、聖書の奥のコトバを求めたい。

 

 神経を病んでいたという時期、若松さんは井上洋治神父の勉強会で質問をする。

 

「質問というよりも訴えに似たようなもので、矛盾を前にした苦しみと出口がないことへの恐怖を切々と語り続けた。典型的な神経症の症状の現れではあった。三十分は優に超えて話していたと思う」(p.206)。

 

 「一度も言葉をはさむことなく、だまって話を聞いてくれていた。そればかりか、神父は静かにこう語った。

「とてもよいお話を聞きました」

 この一言はほとんど、啓示のような強度で心を越え、魂に響いた」(同)。

 「神父はこう言葉を継いだ。

「本当に苦しかったと思う。しかし、信仰とは何かを知ることによって深まるのではなく、生きてみることではないだろうか」」(同)。

 

 ぼくなら、神経症的な語りを三十分もじっと聴くことはできず、「とてもよいお話を聞きました」という言葉も出せないだろう。信仰については、神は無償で愛してくれるとか、いつもともにいてくれるとか、言葉で知らせる、「知る」ようにさせる試みしかできない。信仰をまずは生きてみるように招くことはしないできたことに気づかされた。

 

 若松さんはエックハルトを評して言う。「人は神とつながるだけではなく、「言」を通じて、「永遠」なるものを世にもたらす神聖なる義務をもつ」(p.356)。

 

 ぼくは、音声や文字だけを伝えようとしていた。「永遠」なるもの、永遠なるお方がそれを道として誰かのところに赴いてくださるようにとの祈りが欠けていた。