日本住民の生活の安全を守るには、戦闘機一機の購入費用を、農業支援に回したほうがよい、と著者は言う。
住民が安全な食料を口にするためには、農作物は自由市場の商品ではだめだ。消費者に安全な食料がそんなに高くない価格で届き、かつ、生産者の収入が保証されるためには、国の予算から支援がなされるべきだ。そうすれば、アメリカ産の危険なものを食べ続けることから解放される。
「日本政府が」日本の「農業を軽視する背景には、アメリカの意向がある。アメリカ政府は、多国籍企業の意向で動いている。その多国籍企業の中には、農作物を日本に輸入しようとしている企業も含まれている」(p.60)。
「日本の政治家はアメリカの意向に逆らわない」。日本が「食料自給率を上げて、国民の命を守るということは、アメリカからの輸入を減らすということを意味する」(p.61)。
だから、日本は食料自給率を上げられない。けれども、戦争や災害などでアメリカなどからの輸入が減れば、タイトル通り、日本は「世界で最初に飢える」のだ。
アメリカなどの生産地で「「危なくて食べない」ようなものまで、日本向けなら大丈夫ということで、輸出されてしまう構造ができている。我々は、そうした食料を、知らないうちに食べているのである」(p.71)。
つまり、日本の食糧の安全危機は二重である。ひとつは、自給率が低すぎる、輸入が止まれば飢える。今は輸入して豊富に食料があるように見えるが、それらには産地では「危なくて食べない」ものまで含まれている。
では、どうすればよいのか。
「食料を含めた大枠の安全保障予算を再編し、防衛予算から農業・文科予算へのシフトを含めて、食料安全保障確立助成金を創設すべき時がきている。いざというときに食料がなくなってもオスプレイやF35をかじることはできない」(p.155)。
いにしえの預言者の言うとおりである。
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(イザヤ2:4)
「消費者の行動が世の中を変える原動力になる。食の安全や食料安全保障を取り戻すためには、日々の買い物の中で安くても危ない食品を避け、少しだけ高い地元の安心・安全な食品を買うこと、それだけでいい・・・私たちは、リスクある食品を食べないことで、グローバル企業などの思惑を排除することができる。安心・安全な食品を食べることで、自然環境や健康を大切にする生産者を応援することができる」(p.180)。
軍事出費を減らし、農業支援にまわし、「地元の安心・安全な食品」を高くなく買えるようにする政治にしなければならない。