誤読ノート675 「宗教ではなく超越を信じる者たちの学(ことば)」
「世界神学をめざして 信仰と宗教学の対話」(ウィルフレッド・キャントウェル・スミス、2020年、明石書店)
「究極的には、存在する唯一の共同体は、私が真に所属すると知っているもの、つまり人類という世界規模の長い歴史をもった共同体だからである」(p.74)
ようするに、自己を主張し他を排除するような宗教ごとの神学ではなく、宗教名に関係なく人間の信仰や宗教心、超越への指向に根ざした神学を提言しているのだろう。「世界神学」とはこの世界共同体の、個別宗教を越えた、人類の共通財産としての信仰の神学ということであろう。
「各「宗教」を固定した体系として理解することは、もはや不可能」(p.37)。
たとえば、すでに聖書においても、エジプトの奴隷解放の信仰は閉ざされた体系ではなく、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」への信仰に対して、また、イエスの愛の神への信仰は、それ以前の旧約の信仰に対して開かれている。
「求められている神学があるとすれば、それは諸宗教の神学である。しかし、それは目的語的属格、つまり諸宗教についての神学、他の宗教についてのキリスト教神学、ないしは、それらすべてについての学術的神学でもない・・・つまり、「諸宗教」が目的ではなく主語である神学、「世界のすべての宗教から生れる神学」、あるいはあえて言えば、世界のすべての宗教共同体、あるいは、もっとよく言えば、(さし当り)世界の人間共同体のすべての宗教的サブ共同体から出る神学である」(p.193)。
「われわれが求めるのは、人間の信仰の神学である」(p.197)。
けれども、その神学の内容は、本書では触れられていない。
宗教史だけでなく、哲学史、文学史、芸術史を通して、目に見えない超越を信じながら(交わりながら、触れながら)、それを言葉にすること。世界神学。
たとえば、若松英輔さんの批評や、それの基となる諸人のコトバを想った。