デニーさんはぼくより一歳上だ。だから、この本に出てくること、とくに音楽シーンは、まったく知らないわけではない。その点は、親しみを覚えながら、興味深く読むことができた。
けれども、戦場とされた沖縄、米軍、ミックスルーツ、沖縄の政治など、ぼくには知識や理解がほとんどないことがらも書かれているし、むしろ、それがメインだ。その意味では、ぼくの姿勢、考え、行動、人生の根本が問われている。
沖縄ロックの創始者である喜屋武幸雄さんがこう言っている。「沖縄ロック協会の半分以上はハーフなんだよ。玉城デニーもそうだけれども。〈紫〉のジョージ紫も、チビ(宮永英一)も清正(比嘉清正)も、〈コンディション・グリーン〉のベースのエディも、喜屋武マリーも、みんなハーフということでいじめられたわけですよ」(p.148)。
なるほど、そういうことなのか。ぼくは、デニーさんのことを、辺野古新基地建設反対者が知事になった、それは良かった、としか思っていなかったけれども、ミックスルーツでいじめられてロックをやっていた人びとの中から、知事が生まれた、ということでもあったのだ。これは、良かった、という表現が適切とは思わないけれども、ぜんぜん悪くないことであることはたしかだ。
同じくミックスルーツの東江厚史さんは父についてこう言う。(父が)「僕のことを知らない人であったり、僕が捜すと向こうの家庭にとって迷惑がかかる存在であることがわかったりすると、自分を否定されるような気がして、そういうことを含めて考えると会いたくない。たぶんデニーさんにもそういう気持ちがあると思います。自分の中の物語を否定されたくない。いまここで記憶をとどめておけばいいじゃないですか」(p.236)。
「僕らは基地の申し子ですから、基地で生きてきた人も、反基地の人も、両方わかるんですよ」(p.237)。
デニーさんもそうなのではないだろうか。そういう「基地の申し子」たちの中から知事が生まれたのだ。
この本で「なるほど」と思うことは他にもある。阿波根昌鴻は「戦後沖縄のいわゆる「島ぐるみ」土地闘争に大きな影響を与えた人物である・・・一九五五年七月から翌年二月にかけて沖縄本島で非暴力による「乞食行進」を牽引し、米軍による土地強奪の不当性を訴え続けた。阿波根が率いた「島ぐるみ」から、翁長雄志が象徴する「オール沖縄」の辺野古移設反対へという歴史を、デニーは引き継いでいることになるのかもしれない」(p.270)。
デニーさんの母方のルーツは伊江島だという。デニーは選挙戦の出発点を伊江島にした。阿波根は伊江島に生きた。デニーさんは阿波根さんにもつながっていたのだ。
「玉城デニーは自らのアイデンティティに葛藤しながら、それを他者と自由に出会う喜びに変換させて、生きる肯定感をつかみとっていった。まさに戦後の沖縄の申し子であり、この世界の未来を託された者の一人であるように私には思える」(p.314)。
「米海兵隊員の息子として生まれた玉城デニーの軌跡は、戦後の米軍基地と沖縄、さらに「本土」との関係の中で生じる人々の痛みや社会の矛盾をあぶり出していると私は感じた」(同)。
著者、藤井さんのこれらの評価は、正当かつ深いと思う。著者はさらに、沖縄には、ミックスルーツを持つ人びとへの差別がある、と同時に、デニーの持つ「「共生へと開かれた感性」が支持される、沖縄社会の「同居性」」(p314)を指摘し、「玉城デニーは、言葉面だけではない真の多様性が求められる時代の申し子として颯爽と登場した」(同。
かつて「地方自治は民主主義の学校」と言われた。しかし、日本政府は、辺野古基地建設を民主主義ではない方法によって強行している。
「民主主義の学校」は崩壊したのか。けれども、多様性時代の申し子を知事に選んだ沖縄はあらゆる自治体の民主主義の先駆けなのだ。この場合の多様性とは、藤井さんがいうように「言葉面だけではない真の多様性」である。中央政府の騙るそれではない。