166 「五十の人生、五十の読書」

 「17歳のための読書案内」(筑摩書房編集部・編、ちくま文庫、2007年)

 ぼくより、ちょっと有名で、ずっと深く考える四十九人の執筆陣が、ひとり何冊かずつ、本を紹介。おもしろいのは、それらの本の中身だけでなく、寄稿者の紹介の仕方。そこにちらっと見えるような見えないような紹介者の人生と思想。

 だから、17歳でなくても、27歳でも、37歳でも、47歳でも・・・楽しめます。オリジナルは2000年の単行本だけど、筆者たちはその時、当然、17歳ではありません。「17歳のため」に書いても、17歳から執筆時までの何十年の堆積は隠せない、というか隠しもせず、そここそが、読みどころです。

 たとえば、村上陽一郎さんは、大長編の小説を読みとおす時間は十代でなければないかもしれないけど、高齢化社会になって、七十才を超えて、時間や読書する能力を備えている人が増えてきた、と指摘しています。70歳の方が本著を手にしても不思議ではありません。17歳を数十年前に終えたはずのぼくの中にも、いまだに17歳がいて、この本のタイトルと書いている方々のお名前にひかれてしまいました。

 けれども、ただ本を読んで知識を得れば良いというわけではありません(そもそも記憶的知識を増加するための読書なんて・・・・)。偉大な読み手であり書き手である中井久夫さんは、「ただ、うっかりすると知識欲は権力欲の手段になりさがってしまう」「知的好奇心は、勉強や学問が権力欲の手段となると見事に消え失せる」と指摘しています。串田孫一さんも「野心を抱いて読んでも本は沈黙してしまう」と述べておられます。他の人より上に立つためにではなく、今の自分から一歩外へ出るために、本を読みたいと思います。

 読書論だけなく、紹介されている本も一流です。山田太一さんは中原中也の日記を引用しています。「先生は子供を、子供だと思いすぎる」「勝敗に心さときは、個性乏しきを意味す」。中也19歳、山田さん17歳。まさに、「17歳のための読書案内」ですね。ぼくも数十年は気にせずに、19歳の日記を読みたくなりました。

 最後に、17歳の、あるいは、それ未満、それ以上の子どもたちに読書を薦める方法を南伸坊さんが伝授しています。二宮金次郎のおとうさんのやり方だそうですが、自分は本を楽しく読みながら、子どもには薦めない、それどころか禁じる、そうすると、子どもは隠れてでも読むようになると。

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