「教養として読む現代文学」(石原千秋、朝日選書、2013年)
小説や論説文、エッセイなど、文と呼ばれるものには、たったひとつの正しい解釈があるのでしょうか。ぼくは、聖書の解釈、というか、聖書のテキストをネタにしたお話をすることを生業としていますが、解釈がひとつだと、この仕事を何年も続けることはできなくなってしまいます。
著者の石原千秋さんを知ったのは、「教養としての大学受験国語」や「秘伝 中学入試国語読解法」などを通してでした。受験生として読んだわけではなく、聖書の深い読みができるようにならないかという下心があったのですが、ぼくはこれらの本を通して、設問に対する唯一の正解に導く石原さんのあざやかな解説に感動したものでした。小中高等学校や入試の国語には、たしかに、唯一の答えがあるのです。
ところが、この「教養として読む現代文学」では、石原さんは、筋道を立てた思考をし、彼の解釈を述べながらも、読者のぼくには、文学にはさまざまな意味の読み取りがあってよいことを教えてくれます。この本を読んで、ぼくは、それなりの推論を伴えば、文学は自由な解釈が許されるという思いをあらたにしました。かくして、ぼくは今の職業をもうしばらくは続けていくことができるでしょう。
本著では、戦後の現代文学が十篇取り上げられ、その梗概や、石原さんの解釈が述べられています。そこにでてくるものは、自分とは何者か、他者、自分の身体、現代社会などについての、しかし、前向きなメッセージではなく、むしろ、それらのことで悩む人間や社会の姿のように感じられました。教養とは、これらの現代思想の用語で何かを言ってみることなのかどうかは、よくわかりませんが。
けれども、この本は、小説とは、ああこういう風に読めるんだなあ、これからは、漠然と読むのではなく、石原さんのように、この本は現代の社会や人間のどういうことを言おうとしているのか、よく考えながら読んで、ひとつ、自分でも意味を見いだしてみよう、という気にさせてくれます。
読んだ小説について、自分でも、何かの意味を述べることができれば、読書もさらに充実し、得した気分になれるのではないでしょうか。