「臨床的柔軟さ」

「対人援助の技法」(尾崎新)という本によれば、唯一の援助法や援助観にしがみつくことで、援助者は自分の「有能感」を保とうとする、ということです。

しかし、本当に大事なことは、ひとつの技法や価値観に縛られない、ゆとりをもった自由な態度、つまり、「自然体」であり、ある人の自然体が、目の前にいる人のこわばりをほぐす、と述べられているように読みました。

これは、援助者とクライアントということだけでなく、他者の前に立つという意味での「臨床的」場面全般に言えることではないでしょうか。今、被災地でもそういう臨床的でフレクシブルで、固定観念にとらわれない、人と人との向かい合いが求められ、げんにそうなされているように思います。

洗礼を受けていない人と聖餐のパンをわかちあうことも・・・これが、机上の観念からのものではなく、このような臨床的なことがらであるならば、このわかちあいも十分に理解できることだと思います。「洗礼を受けた人だけにパンを」という価値観による束縛が、ひとりの人間との出会いにおいて、フレクシブルになることはありうると思います。

ただ、同時に、目の前にいる一個の人間を、既成の聖餐式の場で、神の前からも隣人とのつながりからも斥けず、ともに連なる方法は、パンをわかちあう以外にはないのか、この点においても、臨床的、自然体が求められるようにも思うのです。