70代もできれば元気に過ごすためには、今から健康にと、15キロのダイエットを達成し、週二日は40分、それ以外にもなるべく歩くことを心がけてきましたが、この冬、血圧が高いのはちょっと残念。
同業の、ひとまわりくらいか、先輩方はどうしておられるのでしょうか。
「SNS情報によると、その時に「大丈夫ですか?」と聞くと倒れている人も「大丈夫です」と答えてしまうので、「お手伝いできることありますか?」などと声をかけると、相手はお願いしやすいと知った」(p.82、島先輩)
SNSの有効利用ですね。
「誰にとっても自分にないものを求められるのは暴力を受けるようなものだと思う。教会では時々、権威主義的なあり方を求められる」(p.86、島先輩)。
同感です。「牧師が引っ張らないと」とか「牧師先生がまず名前を書いてもらわないと」とか言われますし、若い人や信仰を持っていない人にぼくの考えるところの神の愛や恵みを説得的に伝えることは苦手です。
「他の人から非難されないように、キリスト者らしく、年齢相応に、リーダーらしく・・・・・。自由奔放に生きていると思われていたかもしれないが、これでもそれなりに他者からの評価を気にして遠慮してきたのだ」(p.88、島先輩)。
非難されるのはぼくも嫌いだから、これでも避けています。「キリスト者らしく、年齢相応に、リーダーらしく」はあまり気に掛けたことはありません。「これでもそれなりに他者からの評価を気にして」ぼくもやっています。
「何でも自分のペースが肝要だ。一週間の予定を立てて、自分のペースで取り組むと無理なくこなせる。だから、予定外のことはちょっと苦手かもしれない。急かされたりしたら動揺してしまう」(p.93、島先輩)。
ぼくも、見開き一週間手帳に日にちごとにタスクを書いています。曜日ごとに決まっていることは、月に一度来月分を記入し、毎週金曜日に次週の予定を確認します。一日の予定はなるべく少なくして、楽にこなせる量にとどめます。その方が急用が入ってきても対応しやすいです。
「人との約束も、仕事の集まりにも若かった時には滑り込みセーフが当たり前だったが、今は時間よりも前に着くようになった」(p.94、島先輩)。
ぼくは若い頃から時間より30分以上前に着いていました。仕事をあまりしていなかったからでしょうね。
「小学生が「おじいさん、どうぞ」と立ち上がった・・・「おじいさん」と聞いた途端、「イイよ、すぐ降りるからと口走っていました」(p.132、上林先輩)。
「おじいさん、どうぞ」と言われて、「イイよ、すぐ逝くから」などと間違っても口走らないで、おばあさん、おじいさんは「平和の礎、希望の星」としてこの国の真ん中でどっかりと居座り続けましょう」(p.135、上林先輩)。
ぼくは、隅っこが好きで、真ん中に座ったことがほとんどないので、それを続けることもできそうもありません。
「イサクは「年を取り、目がかすんで見えなくなってきた」(創世記27章1節)、自分の息子の区別もつかずヤコブに騙されます。高齢化による認知症が始まっていたのでしょうか」(p.139、上林先輩)。
新説ですか。当然ありうる解釈ですか。何気に上林節ですね。
「本書の「あとがき」というより、わたしの人生の「あとがき」になってしまいました」(p.163、上林先輩)
きっとあといくつもの「あとがき」を書かれるのではないでしょうか。
夕暮れの光をプリズムで分析すると、そこには、ペーソスとユーモアがあるのでしょう。
「老いの日々を生きる」ぼくとしては、行間と文字が大きめであることは、ありがたいです。一時間で読み終えました。1500円と税を払ったのに(^^;;;