井上ひさしさんは2010年に亡くなった。それから12年。この本は未発表のエッセイを没後10年にまとめたもの。ひさしさんの本はたいてい読んできたが、このように、ぼくにとって新しい文章をいまだに読めることはとてもうれしい。
「この天つちに 溢れることば よき人びとの 遺せしことば ひたすら ひとすじ ひたむきに よく聞き よく読み よく学べ よきことばみな ここに集まる 川西二中に ことばあり」(p.17)。
校歌。作詞は井上ひさし、作曲は宇野誠一郎。ここに山元護久が加われば、ひょっこりひょうたん島のテーマソングになる。
まさに、ひさしさんの言葉に対する想いの半分が込められている。もう半分は、よく語り、よく書き、よく伝えることだろう。
「憎しみとは愛と対立するものであり、愛の裏返しのようなものでもあるので、あえてふれようとはおもわない。ただ一つ、どんな憎しみであれやがては消える。もっともそれには、相手が『ああ、あいつにはひどいことをした。あいつがおれを憎んでいるのもよくわかると思ってくれたときは、という条件がつくが』(p.24)。
どんな人でも赦すことはできる。罰を願わないことも和解することもできる。もっともそれには、相手が「ああ、あいつにはひどいことをした。あいつがおれを加害者だと思うのもよくわかると思ってくれたときは、という条件がつくが。
「このように隠された主題を探し求めつつ読み進み、どうやら主題を嗅ぎ当てたところで、『まあ、結論はあなたの方でお出しなさいな』と突き放されるのだから、彼の文章が読みやすいわけはないだろう。『なにが書いてあるのか』『そしてなにがどうしたのだ』と性急に問う読者は、出入り指し止めとなるほかはないのである」(p.45)。
なるほど。それで、ぼくなどは歯が立たない本がいくつもあるのだな。何が書いてあるか、さっさと自分のわかるようにわかってしまおう、などという読者は出禁を食らうのだ。でも、ひさしさん自身の文章は「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに,ゆかいなことをいっそうゆかいに」で書かれている。ぼくは、むずかしいことはわからないから、自分がわかるやさしいことをやさしく、だけだな。
「つめくさと山との間にひろがる野原や林はだれの縄張りかといえば、そここそ、人間と動とが、樹木や草花など植物の立会いの下に、対等の資格で出会うところである。風や光までも含めたありとあらゆるものの共有地、交歓の場なのである。賢治がしきりに口にする「明るく楽しいところ」とは、まさにここなのだ」(p.53)。
ぼくは最近、都市による加害を克服する可能性をもとめて「里山」の本を読み始めている。でも、それは、賢治が百年前に、ひさしさんが30年前に言っていたのだな。
「そこで逆に、わたしが自分に欠けているところを皆さんに云い、その欠けているところを補うことのできる人が皆さんの中にいれば、その人は必ずや天晴な小説家になれるはずだという論が成り立ちます(笑)。そういう意味で、わたしはたしかに小説家としては四流、五流かもしれないが、創作講座の講師としては一流であると、これは胸を張って申し上げることができる。とにかくわたしのようにならなきゃいいんですから話は簡単でしょうが」(p.151)。
ぼくはたしかに牧師として教師として親として夫としては四流、五流かもしれないが、牧師教師親夫講座の講師としては一流であると、これは腹を出して申し上げることができる。とにかくぼくのようにならなきゃいいんですから話は簡単でしょうが。
「小説家たちに残された道具はすくない。わたしの見るところではもはやふたつしかない。ひとつは、〈考える人〉として、世の中の流れに抗しつづけ、絶え間なく「否(ノン)」を発し続けること(ラジオ以下の後発大衆娯楽には「否」を叫ぶ働きがあまりない)。もうひとつは、ことばにこだわりつづけること、である」(p.169)。
ぼくが発してきたのは「否」ではなく「暴」だったのだろう。〈考え〉といないのだ。ただの衝動だ。多くの音を出し、多くの文字を入力してきたが、それらは「ことば」ではなく、練ることも、絞りだすこともなかった。
やはり、ひさしさんのようにならなきゃいかんのです。