旧約聖書学者の大島力さんが、街の教会の礼拝でした説教集。さりげなく学問的成果が散りばめられていますが、難しくはなく、むしろ、神の愛がやさしく伝わってきます。
出エジプト記三章二節に「柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない」とあります。大島さんはこれを、人間は燃え尽きてしまうことがあり、モーセも燃え尽きようとしていたが、この燃え尽きない柴を通して、彼は「燃えても、燃え尽きない命の源に触れた」(p.21)、つまり神と出会った、と説き明かしています。
また、出エジプト記三章一四節で、神は自分の名前を「わたしはある。わたしはあるという者だ」と語っていますが、大島さんはこれを、「「私はある。私は、あなたと共にあるもの、つまり、あなたと共にいる者である」という意味です。「わたしはいる、あなたと共に」。それが中心的なことです」(p.22)と解きほぐしています。これも旧約聖書学の成果を反映しています。
さらに、出エジプト記一九章四節では、神がモーセらにこのように語っています。「あなたたちを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来た」。これを大島さんは「走る力、あるいは歩く労苦さえ、それができない時には、「あなたがたに、私はもはや歩くことさえ求めて来なかった。むしろ、あなたがたを私の翼に乗せて、連れてきたのだ」・・・このような、神からの一方的な恵みをこの言葉は告げています」(p.74)と解題しています。
旧約聖書と聞くと、厳しい神からの厳しい戒めのように思われがちのようですが、大島さんは、人間に向けられる神の愛と恵みのメッセージを聞き取っているのです。