21世紀に入ってからの「浄化」により一変したというが、沖縄にはいくつもの売春街が存在した。これは文庫本450頁にわたるそのルポルタージュである。
日本中、世界中の売春街には歴史があり出現した背景があるはずだが、沖縄ではどうだったのか。
「凄絶な地上戦を経験して九万四〇〇〇人といわれる住民犠牲者を出した沖縄の戦後の困窮が売春の原因となった・・・頻発する米兵の性犯罪に対して「売春地域」を人為的につくることによって阻止しようとした当時の「民意」などが、そこには複雑に絡み合っていた」(p.42)。
けれども、藤井さんはこの「当時の「民意」」に同意していないことは、高里鈴代さんの指摘をこの本に記していることにも明らかだ。
「高里は、「性の防波堤」どころか、逆に性犯罪を誘発しているのではないかという指摘をした。一九九五年の米兵による小学校暴行事件の加害者の真理に、売春街のネガティブなイメージが影を落としていたとは知らなかった」(p.274)。
これは「一九九五年に起きた女子小学生強姦事件の犯人の米兵たちは、『売春街に行こうか』『あそこは薄暗くて汚くて、自分の貧しい子ども時代を思い出すからいやだ』と会話している」(p.272)という高里の発言を指している。
藤井さんは、大江健三郎や筑紫哲也らに代表される「平和と反戦を希求する島」(p.204)という沖縄観の外にいる人たちの存在を感じ、それが大きくなっていったという。
けれども、その人たちが「平和と反戦を希求する」人たちではない、と藤井さんは言いたいのではない。
「売春街の歴史は、壮絶な地上戦に巻き込まれ甚大な犠牲を強いられた沖縄の、戦後の歩みと深く呼応しており、現在も日本国内の米軍基地の総面積の七五パーセントが集中する沖縄の現実と不可分の関係にあるのだ」(p.442)。
「アメリカが自ら慰安所を設けることをしないできたのは、軍隊を維持するためのコストを考えてのことであり、「迂遠な管理型売春」によるなら、そこで起き得るトラブルについての責任を被害者側に転嫁しやすいという「利点」を政治的につくろうとしてきたからでもある。これはアメリカが沖縄を植民地のように見下し、差別していたことのあらわれでもあるが、こうしたアメリカの狡猾な政策下に沖縄が置かれていた」(p.266)。
日本とアメリカの軍隊によって何万人もの人びとが殺され、敗戦後も、日本の政治とアメリカの軍隊が沖縄の人びとの生を蹂躙していること。被害者、遺族、平和を求める人びとの言動がそれを証しし続けている。
けれども、アンダーグラウンドに生きた人びとの歴史も、その声も、また、このことの証言であることを、藤井さんは明らかにした。むろん、藤井さんの目的が最初からそこにあったのではなく、取材をしながら、結果的にそうなった、ぼくは、読者として、そう思った。