訳者解説では、「「子どもを救え!」というのがこの作品の核にあるメッセージ」(p.216)と述べられています。執筆当時のロンドンには三万人のストリート・チルドレンがいたそうです。そして、この本の大きな目的は「貧困階級の子どもたちの擁護をイギリス国民に訴える」(p.218)ことだというのです。
それは、たしかに、本文からもうかがえます。
「貧しい者が貧しさを痛感し、富める者が富を実感するのはこの時期」(p.23)という登場人物の言葉。
主人公スクルージの甥もこう言います。「僕はクリスマスが来るといつも――イエスさまの誕生日として尊ぶのは別にして、もちろんそれとこれとを区別することはできないけど――それを、ありがたい日だと思うんです。親切と、寛容と、慈善と喜びの日。一年の長いカレンダーのなかで、この日だけは、みんなが心を一つにして、普段閉じている心の殻を破って楽しく付き合うんです。そして、困っている人たちのことを、別の目的地に向かう赤の他人ではなく、つかのまの人生をともに生きている同じ旅の仲間だと考えるんです」(p.17)。
けれども、ディケンズは、じつは、「この日だけは」とは考えていないようです。スクルージの仕事仲間だったマーレイの幽霊はこう言います。
「人間愛が私の仕事だったのだ。まわりにいる人たちの幸福が私の仕事だったのだ。思いやりが、寛大さが、善意が、すべて私の仕事だったのだ」(p.46)。
マーレイが生前そのような仕事をしたということではありません。それを仕事にすべきだったのに、そのように生きるべきだったのに、そうできなかった、ということでしょう。
物語が終わりに近づくと、スクルージはこう言います。「心のなかでクリスマスを大切にします。一年中その気持ちを持ち続けます。わしは、過去と、現在と、未来のなかに生きます(p.187)。
クリスマスの日だけでなく、一年中、「まわりにいる人たちの幸福」「人間愛」に生きるべきなのです。生涯全体もそう生きるべきなのです。けれども、そうでない過去を過ごしてしまったら、そうしたらよいのでしょうか。
「何よりも幸せなことに、彼の前に時間が――自分自身の人生の時間があって、今までの償いができるのです」(p.190)。
つまり、未来を人間愛に生きることによって、そうでなかった過去も赦されるということでしょうか。
「わしは赤ん坊のように生まれかわったんだ。やっほー。万歳」(p.192)。
人は、これまでの人生を良かったと思えなくても、スクルージのような高齢になっても、今からでもあたらしい生き方を始めることができるのです。
この作品には、聖書のモチーフが強く用いられています。
「恵まれない境遇にある子どもを救うこと(「子どもを救え!」)というのは、「福音書に書かれたメッセージだとディケンズは言いたいのではなかろうか」(p.222)。
けれども、本作においては、子どもは大人が救うべき対象にとどまりません。「スクルージは過去のクリスマスの精霊とともに自分の子ども時代をふりかえり、そして作品の最後では生まれかわって子どものようになる」(p.223)。
人生における生まれかわりも聖書に頻出するテーマです。
わたしは、この物語を文字で読むのは初めてですが、これをアレンジした舞台やディズニーアニメは観たことがあります。
「ディケンズは『クリスマス・キャロル』では意図的に語り手のプレゼンスを前面に押し出している。なぜなら、これは炉端で語られる幽霊話だからである」(p.246)。
そういえば、ディズニーのアニメでも、あひるの家族が、揺り椅子にすわるお年寄りを暖炉の前で囲んで、物語に耳を傾ける光景がありました。