513 「死者からの最良の贈り物」・・・「詩集 愛について」 (若松英輔著、2020年、亜紀書房)

 七、八年前でしょうか。初めて読んだ若松さんの本に、「死者」という言葉がありました。ぼくは、それは、「他者」のことだと思いました。「他人」ではありません。深い愛を感じつつも、自分の中に取り込んで自分の良いように決めつけてしまわず、むしろ、自分で解釈してしまってはならない尊さ、神秘をもった、敬愛すべき存在のことだと思いました。だから、「死人」ではなく「死者」と表すのだと。


 若松さんの大切な人びとの何人かは「死者」となりました。死人には口はありませんが、死者は生者とつながっています。

 

 「約束してくれた/家も車もなくて/旅行にも行けなかった

  でも ひとつの/悲しみを/のこしてくれた

  それで十分」

 

 「悲しみでは/いつも あなたに/会えるから」(p.64) 

 

 悲しみでいつもあなたに会う・・・奇妙に聞こえるかも知れませんが、案外、身近なことかも知れません。たとえば、十字架につけられたイエスを想い、悲しみ、涙を流し、イエスと出会う人びとがいなかったでしょうか。

 

 「でも あなたの言葉は/その 赤色の滴りを/いのちの水に/変えてくれた

  あなたが/目には映らない姿で/存在していることは/分かっていた」(p.77)

 

 イエス・キリスト。救い主イエス。イエスはどのような意味でキリスト、救い主なのでしょうか。イエスは死者の代表なのかもしれません。「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」(コリントの信徒への手紙一15:20)。

 「あなたは/大切な人」と書き出した詩には、こうあります。「私よりも/わたしの人生を 深く/慈しんでくれる人」「私が わたしを/見失っても/いつも わたしを/観てくれる人」(p.86-88)

 

  自分の狭い枠に閉じこもっている「私」を本当の「わたし」にしてくれる「あなた」は、人生の旅を先に終えなおここにいてくれる「死者」であるかもしれませんし、イエス・キリストであるかもしれません。これは死者をイエス・キリストと同列にして神格化しているのではなく、むしろ、イエスを人格化していると考えます。では、「本当の『わたし』」とはどんな「わたし」なのでしょうか。

 

 「あなたは/彼方の世界へとつながる/扉となったのです」(p.92)

 

 「私」は彼方の世界へとつながって「わたし」になるのです。「私」は世界の根源とつながって、永遠とつながって「わたし」になるのです。

 

 若松英輔さんの表す「死者」は、このように「わたし」を回復してくれる「他者」であったのです。

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