キリスト教の聖書とドイツの政治理念には共通点があるとメルケルは述べます。すなわち、創世記によれば「人間は神の似姿として、神によって創られ、自由に生きるべく召されている」(p.96)のであり、ドイツ基本法第一条によれば「人間の尊厳は不可侵である」のです。これはキリスト者アンゲラと政治家アンゲラの共有精神でもありましょう。
アンゲラ(英語ではエンジェルか? 使者の意か?)は、さらに、「政治の基準は国家ではなく、政党でも人種でも階級でもありません。国家のあらゆる活動の中心には、人間とその不可侵の尊厳があるのです」とダメ押ししています。
このようなメルケルの信仰はすばらしいと思いますが、やや気になる点もありました。「社会的市場経済も、キリスト教的な基礎とキリスト教的なパースペクティブから発展してきた」(p.173)。
・・・どうなのでしょうか。聖書には、市場経済によらない、無償の贈与や、必要に応じてのわかちあいの世界も描かれていなかったでしょうか。
「ドイツは法治国家です。法治国家は助けを必要とする人に援助を提供します。しかしこの援助を今後も続けるために、法治国家としての手続き上ドイツに滞在権を持たない人びとに対してはこの国を退去せよと伝えなければいけません・・・早く決定を下せば下すほど、当事者にとっては好ましいということです。一家族全体を何年間も自治体で受け入れて世話をし、その土地での人間関係ができたあとになって国外退去を通告することほど、残酷なことはないからです。ですから決定は、より早く下さなければいけません」(p.216)。
組織存続のためには組織が受け入れられない人間はいますぐ排除しなければならないとし、その理由は本人のためと言い訳しているようにも思えます。
見方を変えれば、政治にキリスト教の良質な部分が宿りうる、と同時に、政治にはそれが不可能な領域もある、ということでしょうか。
難民を受け入れる、という善のためには、このような残酷に思える条件をつけざるを得なかった、この条件なしには、難民はひとりも受け入れられなかった、ということなのかもしれません。悩ましい問題です。