原民喜には「夏の花」という小説がある。原子爆弾が投下された広島を書いたものだ。本書は、その原の、梯による評伝だ。
「原は自分を、死者たちによって生かされている人間だと考えていた」(p.14)。
死者とは誰か。
「愛する死者をいわば“聖別”することを生涯を通じて行ったのが原という作家である、それは、父と姉、のちには妻という、かけがえのない愛情の対象を」(p.71)。
原爆で殺された人びとはどうだったのか。「死にゆく妻を、原は傍らで見守ることができたのだ。/だが広島の死者たちはそうではなかった」(p.185)と評者は書いている。原自身も「このやうに慌しい無造作な死が『死』と云えるだろうか」(同)と記している。
広島の死は死とも言えないほどの死、死の死だったのだ。
しかし、原は「鎮魂歌」の中で言っている。
「僕にはある。僕にはある。僕にはまだ嘆きがあるのだ。僕にはある。僕にはある一つの嘆きがある。僕にはある。僕にはある。僕には無数の嘆きがある。/一つの嘆きは無数の嘆きと結びつく。無数の嘆きは一つの嘆きと鳴りひびく」(p.230)。
家族の死者は広島の死者と結びつき、一つの嘆きとなった。
ぼくは3・11以降、若松英輔に促されて、死者を想うようになった。この本には彼の名前は出てこない。けれども、若松とともに井上洋治神父門下にあった遠藤周作は、原民喜の若い友人であった。遠藤宛の原の遺書は留学先のフランスにまで郵送された。
これはたんに慶應義塾、三田文学つながりだけではなかろう。原も井上も遠藤も死者だ。けれども、彼らはたしかにぼくらを生かしている。死を死ぬこともできなった、何億もの死者とともに。