悲しみとはなんだろうか。慈悲という言葉があるように、悲しみには慈しみという意味がある。悲母とは、愛に満ちた母のことだ。悲しみと慈しみというふたつの意味があるのではない。人への慈しみがなければ、その人とのかかわりの中で悲しみは生じない。その人の悲しみを感じなければ、慈しみは湧き出て来ない。
「生者が死者を悼むのではなく、死者が生者を悼み続け、そのはたらきによって生者が支えられている。死者の悼むちからが、生者を支えている。それが内村の実感だった」(p.155)。
死者が生者を悲しむ。しかし、その悲しみが生者を慈しみ養ってくれるのだ。
「彼にとって死者の経験は、祈りの挫折の経験であり、また、その深化の出来事でもあった。愛する者にふたたび健やかなる日を、という祈りは聞き入れられることはなかった。しかし、愛する者よ、永遠なれ、という真なる祈りは、自分が感じているよりもずっとたしかに実現されている、と内村は感じている」(p.156)。
この者を癒してください、救ってくださいとせつに祈ったが、内村の妻は死んだ。神は祈りを聞いてくれなかった。なんと大きな悲しみか。祈りは挫折した。しかし、妻が永遠のいのちにあることを思うとき、それは、なんと大きな慈しみか。祈りは深められた。神とのつながり、妻とのつながりが深化した。
「内村にとって霊性の深化は、苦痛の経験を経ることによって実現される。キリスト者であろうとすることは、可能な限りキリストの苦しみを感じ、生きてみることだと内村は信じている。再臨運動とは、神が苦しみつつあることへの目覚めを強く促す動きだったといってもよい」(p.169)。「内村にとってキリストの道を生きるとは、他者の痛みを『私』の痛みとして感じようと試みることでもあった」(p.170)。
「苦痛」が「慈しみ」と重なりあうとき、「悲しみ」となる。著者が内村を「悲しみの使徒」と呼んだゆえんだ。
「再臨」とは何だろうか。
「福音を信じ得ない者にまでも、贖いの恩寵が光のごとく、万人にあまねくそそがれるとき、それが内村にとっての再臨の日だった・・・再臨のとき、人と神はすでに道によって隔たれてはいない。そこに宗教が入る余地はない。宗教がその使命を終え、消えゆくこと、その実現こそ、内村が自ら使命と信じたことだったのである」(p.180)。
「万人にあまねくそそがれる恩寵の光」こそが「悲しみ」である。それに満ちた世界には、もはや宗教はない。人が神を隔てるものはない。
「無教会」とはこの展望のことではなかろうか。「英語でいうnon-churchというよりも、既存の教会のあり方を超えて、beyond-churchと理解した方がよいように思われる」(p.209)。