「イライラしない本 ネガティブ感情の整理法」(齋藤孝、幻冬舎新書、2016年)
腹立たしい相手が四人にもなってしまい、憤りが頭から離れてくれずかなり苦しいので、ついこういう本を手に取ってしまいました。この手のハウツーものや、ネタの使い回しになってしまった齋藤孝モノは、期待外れだとわかっているのですが、どうも。
まあ、それでも、現代社会のイライラの根源の分析には、SNSへの言及などソウダネと思わせるものがあり、イライラへの対処法も、心理学の援用もあれば、カラオケとか映画とか音楽とか、カルチャー的なものもあり、さすが、大学の先生であり、また、大学生を相手にしている先生だと思わされました。
ぼくにとって役に立ったところを挙げると、まず、「正義感のアンテナ感度が鋭くなりすぎてしまうと、ネガティブ感情が必要以上に増幅されてしまう」。ぼくの場合、ネガティブ感情を、正義を持ち出して武装しているところがあると思いました。
「仕事のできる人はできない人を『養ってやる』くらいの太っ腹なところを見せる。仕事ができない人は、できる人への評価に嫉妬せず、『なかなかやるな』と認めるくらいの度量を持つ」。ぼくなりに言い返ると、何もしてくれない人の分を「じゃあ、ぼくがやっておくか」くらいの気持ちを持つ、評価されている人に嫉妬せずに「ああ、よくやっているね」と認める。
「去ろうとしているものを追ってしまう自分には、相手に対して何かしらの執着やこだわり、依存といった感情がある」。まさにその通りですね。かつてその人が自分を肯定してくれた言葉に恋々としているのですね。
「そもそも男性の脳は「ものごとを論理的に思考する」という特徴を持っているため、どうしても雑談に意味を求めがち。話の内容や論理に整合性、結論などを求めて、かえって疲れてしまう」。論理的思考が男性の特徴かどうかはわかりませんが、ぼくは、たしかに、話に整合性や結論を求めすぎ、矛盾に厳し過ぎて、腹を立てることが多いです。
ただし、「永遠」を世界の深み、根源としてではなく、ただ「時間が止まる」「美しい瞬間」としてだけ考えるのは、浅いように思いました。
また、「自分にとって絶対的で圧倒的な存在感を放つものに身を委ねることで、人は大きな幸福や安心感を得ることができます」というのもステレオタイプで、委ねることの難しさや、それにもかかわらず、自分を受け入れてくれる絶対者への憧れなどには、考えが及んでいないように思いました。