「ドストエフスキーの生と死の感覚」(中村健之介、岩波書店、1984年)
この本は、題名の通り、ドストエフスキーが生と死に対して抱いている「感覚」、つまり、具体的なイメージについて書かれています。生死に対する彼の「思考」や「思想」「論理」についての書物ではありません。
筆者によれば、この作家は「永遠の生命すなわち神は存在するのかという問題に、思弁的にだけでなく感覚的にもこだわり続け」ていたと言います。
それは、「沈もうとする夕日の光を見ただけで全身をわなわなとふるわせたり、郊外の畑地の空気にふれただけで『生き返ったように』感じて感嘆の声をあげ」たりするような感覚のことです。
もっとも、人を愛し人に愛されているというような幸せな感覚を味わうときは、神の存在を信じるのですが、自分は悪い人間だという感覚に襲われるときは、不信になり、生の全体から斥けられていると作家は苦しむと言います。思弁ではなく感覚で神に触れることには、このような問題点もあるのでしょう。しかし、わたしたちの多くはこの感覚を忘れていたのではないでしょうか。
「罪と罰」の主人公は、最後、宗教的な喜びに満たされますが、その喜びも、自分の犯した罪への反省や、それを神は赦すという教えに引き出されたものではなく、彼を突如訪れる感覚です。
アガペーを神の無償の愛、インマヌエルを神がともにいること、シャロームを神からもたらされる平安・平和と思弁的に、あるいは、言葉で理解するだけでなく、感覚すること。これがぼくの信仰生活の課題だと思いました。
ドストエフスキーの小説も思弁的だけでなく、感覚的にも読むと良いのかもしれません。