「1000人の患者を看取った医師が実践している 傾聴力」(大津秀一、2013年、大和書房)
著者は三十代、そして、このタイトルだけれども、中身はすばらしい。自分の存在が揺らぎ苦しんでいる人々を支えること、そのための傾聴、そして、その結果としてその人の人生の物語が再構成される、あるいは、新しい物語となる、これらのことについて、しっかりと述べられています。
ガンを告知されることなどのような危機の際、わたしたちには、「死」への問いより、何のために自分はこれまで生きてきたのか、今生きているのか、これから生きていくのかという「生」への疑問が浮かび上がると著者は言います。この苦しみをスピリチュアルペインと呼びますが、オカルトや超能力とは関係はありません。
この痛みは、多くは、自分の人生には何の意味もなかった、もう生きていても仕方がないというものですが、その人生の物語を意味あるものとして読み直す、読み直して意味を発見する、そのためには、この人の話に、ていねいに、誠実に、じっと耳を傾ける、つまり、傾聴してくれる人、傾聴してもらうことが必要だ、ということを大津さんは繰り返し訴えています。
この傾聴にはいくつかの技術が必要です。技術というより、たいていの人に可能な、心がけ、姿勢と言った方が良いかもしれません。
たとえば、苦しんでいる人の問いに必ずしも答えなくてよいということです。「何のために生きているのでしょうね、ぼくは」に対して、沈黙を避けるために「そうですね、ご家族を悲しませないためではないでしょうか」などと答えなくてもよいのです。沈黙していて構わない、いや、沈黙の方が大切だと言います。
苦しむ人を何とか支えよう、寄り添おうとするとき、わたしたちは、何もできない、どんな言葉をかけたらよいのかわからないと無力さを感じてしまいますが、じつは、何もできないのではなく、沈黙することができる、その人のためにひとり泣き悲しみ疲れることもできるとも。
傾聴のポイントはいくつかありますが、たとえば、その人の一番気がかりな点を聞くこと、また、その人の物語を意識しながら聞くことなどが挙げられています。
傾聴中心ですが、相手の話してくれたことを鏡に映すように、あるいは、相手の話をまとめて、こちらから投げ返すように話す時は、声ははっきり、穏やかに、やや静かに、しかし、聴こえるように、ゆっくりがよく、言葉には「丸み」をもたせ、「ふんわりと」、「受け取れるように」「羽毛でできたシャボン玉」のように「送る」のが良いと言います。
姿勢は、相手の方に少し体を傾け、顔つきは優しげに、言葉には親しみと愛をこめること。親しみを示しながらも、礼儀正しく。つまり、相手への敬意が大切なのでしょう。
また、病気の人が病気を「受け容れる」ことに、まわりはこだわらず、「受け止める」ことで良しとすべきとも。
ガンなどの場合、そのステージにもよりますが、その人の病気を治したいという気持ちを汲み取ることだけでなく、今のその人の毎日の体調や状態、痛みなどに焦点を向けなければならない場合があります。
医療の現場だけでなく、宗教においても、病気が治ることを祈り、信じ、希望を持つことと、神に委ねつつ地上の旅の最終段階を乗り越えることの、矛盾するようにも思えるふたつのことが大切だと思われます。
大津さんは、治るという希望も大切だが、今できること、今すべきことを考えましょう、と伝えて、日常の闘病生活の質を高め、結果的に長生きする人もいる、と述べています。おそらく、抗がん剤や手術を優先するのか、痛みの緩和中心なのか、というような問題とつながっているのでしょう。
スピリチュアルケアや傾聴、苦しむ人への寄り添いの入門、復習に、やさしく、わかりやすく、それでいて、読み応えのある一冊です。