若松英輔さんの詩は読みやすい。ぼくは読めていないのかもしれないが、読んでいるようにも思う。
若松さんが紹介するリルケの詩はぼくには読めない。むずかしい。でも、あそこに書かれていることは若松さんがこの詩集で書いていることと同じことなのかもしれない。
すなわち、ことばのきせき、が書かれていると。
言葉の奇跡、ことばの奇跡、言葉の軌跡、ことばの軌跡
いや、人の文字では、「ことばのきせき」としか書けない。
「ことばを抱き寄せ 言葉に/光のちからを取り戻せ/不可視な光を/世にはなて」(p.6)
ことばと言葉。不可分であるが、とりあえずは、分けることもできるのかもしれない。矛盾だが。矛盾こそが詩なのだろうか。
最後に収められた「奇蹟のことば」は、新約聖書のイエス・キリストを詠っている。
「しかしあの方を 神だと知った者たちは誰も/あの方から徴をもとめたりはしませんでした/切望したのは言葉です/あるとき、あの方はこういわれました/「人はパンのみにて生くるにあらず/神の口からでる すべての言葉によって生きる」」(p.96)
「ただ お言葉をください そうすれば わたしの僕は癒されます」(p.97)
ここでは、言葉はことばと重なっている。
「言葉は 消え入りそうないのちを/新生させることができるのです」(p.98)
「あなたは あの方がくりかえし語られた/いのちと呼ぶ どんなことがあっても/滅びることのない何かが/すべての人に宿っているとお信じになりますか」(p.100)
アーメン。はい、信じます。
いのち、どんなことがあっても滅びることのない何か、ことばをぼくも信じます。