人から称賛され、自分も満足できる地位に就く。多くの財産を手に入れる。神谷美恵子さんや若松英輔さんが語る「生きがい」とは、そのようなものではありません。
この本を読んで、生きがいとはぼくの外とのつながりのこと、だと思いました。そして、ぼくの外にあるものとは、すなわち、ぼくの外とは、ぼく以外の人びとであり、自然であり、神のことです。神は世界の根源とも永遠とも言ってよいでしょう。このような外とのつながり、ぼくが独りで生きているのではないことこそが、生きがいだと考えました。
「野に一輪の花を見るように、また、さえずる鳥の音を全身で引き受けようとするときのように、私たちが隣人の言葉と向き合うとき、眠れる『生きがい』が何ものかによって照らし出される」(p.6)。
若松さんのこの一節はイエスの「空の鳥を見よ、野の花を見よ」という言葉と響き合います。イエスは鳥と花の一番深いところに神を見たのでした。そうすると、上の若松さんの言葉には、隣人としての自分以外の人びと、花鳥という自然、そして、神が詠まれていると言ってもよいでしょう。
さらに、「隣人の言葉」とあります。言葉もまたわたしたちの外にあります。言葉とつながることも生きがいです。言葉はわたしたちの中にもありますが、それが中にとどまらず、外の言葉と触れあい共振するとき、生きがいになるのではないでしょうか。
この十年ほど若松さんの言葉を読むことがぼくの生きがいになっています。というか、そこで、永遠を求めたり垣間見たり触れたりした人びとと出会いぼくもその仲間になることに生きがいを覚えています。