637 「神学とは親の束縛を乗り越えること」・・・「パウル・ティリッヒ 1 生涯」(ヴィルヘルム&マリオン、ヨルダン社、1979年)

 若松英輔さんはカトリックだが、キリスト教だけが正しい宗教などは言わず、むしろ、他の宗教、文学、芸術、思想の中に、世界の根本にあるものの現われを見いだしていく。

 ぼくは、神学に触れて40年、ティリッヒを読んだことはなかったが、昨秋、何かを読んでいて、ティリッヒには若松さんに通じるものがあると思い、ティリッヒを読んでみることにした。そして、ティリッヒ自身の著作と、ティリッヒについての著作を、この数か月、少しずつ読んで来た。この本もその中の一冊だ。

 

 伝記はおもしろい。人の人生には展開や転換がある。

 

 ティリッヒは、日本で言えば、明治維新の20年くらい後に生まれ、東京オリンピックの翌年に死んだ。四十代後半、日本が国際連盟を脱退した年に、ドイツからアメリカに移住する。

 移住者の人生は物語だ。映画ゴッドファーザーの主人公マイケルの父のビトーも、シチリアからアメリカに移住したひとりだ。

 マイケルは父からいろいろ受け継いだが、父とは違う生き方も模索した。彼は暴力をふるったが、のちに暴力から離れようとした。ティリッヒも、ドイツ・ルター派教会の上級牧師だった父の影響も受けたが、神学の方法において、父とは違う道を歩んだ。

 「彼は神学者の仕事は、古くからの福音を現代人の精神に合うように解釈することであると考えていた」(p.217)。ティリッヒは、そのために、哲学や文化を用いた。

 「ティリッヒの語彙において『罪』は『分離』、『恩寵』は『再結合』、『神』は『存在の根底と目的』、『信仰』は『究極的関心』というふうに言い換えられた」(p.277)。

 

 ぼくの父は牧師だったが、ぼくは、父とは違う教団の牧師になった。ぼくは、父と同じくルターやバルトの神学に少し触れたが、神、イエス聖霊、救いについての考えは、かならずしも父とは一致しないだろう。父もキリスト教以外の、たとえば、仏教思想などにも関心をもっていたが、ぼくは、彼よりももっとキリスト教を相対化しているのではなかろうか。

 

 この本はティリッヒの壮大な父親離れの物語でもあるように思った。

 

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