誤読ノート598 「キリスト教を日本化するのではなく、宇宙化し、しもべとする」
「日本人にとってキリスト教とは何か: 遠藤周作『深い河』から考える」(若松英輔、2021年、NHK出版)
「日本人にとってキリスト教とは何か」を考えるとは、どういうことでしょうか。遠藤周作は、キリスト教は洋服で、日本人が着るには和服に仕立て直さなければならない、と述べたと言われています。
この本もそのようなことをしようとしているのでしょうか。キリスト教という普遍的真理を、日本人にもわかる特殊表現に翻訳しようとしているのでしょうか。
そうではないでしょう。そもそも、遠藤周作が「キリスト教は洋服」、衣類一般ではなく「西洋の服」と言うのは、キリスト教は普遍ではなく特殊だと考えているからではないでしょうか。
遠藤周作の小説も、若松英輔さんの批評も、何かとても大事なことの一特殊表現であるキリスト教の諸要素を、日本人が読む文章というもう一つの特殊表現に翻訳することで、キリスト教の表面ではなく内奥にある普遍的真理を伝えようとしているのではないでしょうか。
つまり、日本人にとってキリスト教とは何かと考えることは、キリスト教を、キリスト教用語やキリスト教概念に頼らず、人間の心が感じ憧れる目に見えない根本を探ろうとすることではないかと思います。これは、日本化ではなく宇宙化なのです。
そのとき、キリスト教は自分だけが正しい宗教であることをやめて、宗教にかかわらずどんな人の心にもある「目に見えないおおいなるもの、聖なるもの」の一しもべに戻ることができるでしょう。