579 「差別克服の正道」・・・ 「教会<私たち>がLGBTQから学べること」(コディー・サンダース著、原口建訳、上野玲奈監修、エメル出版、2021年)

 著者はこう述べています。「私はクイアであること公言しており、バプテスト派教会の按手を受けた牧師という立場であり、同様にクイアの牧師であるパートナーと教会的契約による結婚関係を結んでいる」(p.44)。

 

 ではクイアとは何でしょうか。「私は『クイア』という言葉を、異性愛の規範や生物学的な性概念に反する人たちを含めた、包括的用語として使っている」(p.14)。

 

 最近では、日本の教会でも「LGBTQ『について』学ぶ」あるいは「LGBTQの声を『聞く』」集会などがありますが、著者は、それでは不十分だと言います。

 

「教会は今こそ『クイアに教えようとする』立ち位置から、『クイアから学ぶ』立ち位置にシフトすべきだろう」(p.39)。

 

 「について学ぶ」も「声を聞く」も「に教えようとする」と本質的には変わらないのではないでしょうか。相手より自分を上に置くからです。

 

 「から学ぶ」は、たんに相手の境遇、考え、気持ちを学ぶということではなく、著者は、クイアからキリスト教の本質を学ぶことを促しています。

 

 「バイセクシュアルやトランスジェンダーの人々の生き様が私たちに何よりも示してくれるのは、役割や責任、権利や特権、関係性や社会的慣習を性別だけで判断することを乗り越えて教会やコミュニティ、社会を形成することは可能だ、という発想だ」(p.77)。

 

 わたしたちの教会、コミュニティ、社会では、「長」が着く役職には「男性」を選ぶことが圧倒的に多く、「女性」にはこの役割をなどと無批判に決めてしまいますが、バイセクシュアルやトランスジェンダーの人びとは、そのような「性別役割」を乗り越える道を教えてくれます。これは、まさしくパウロがガラテヤ書で言う「男も女もない」教会(p.73)の実現に見えます。

 

 「クイアな人々は、病気や死にゆく人々の世話をする相互支援の共同体を形成し、肉親に見捨てられた人のために無数の葬式や記念碑を計画し、この病気に対して最も効果的で意味のある対応を行う組織を生み出していた」(p.102)。

 

 エイズが同性愛者差別と結びつけられていた時、差別された人々は、このような聖書的な行為をしていたのでした。

 

 「クイアな人たちが持つ共同体経験には、現代社会が文化的に推し進めてきた個人主義的な思想から教会が抜け出るための可能性が秘められている。その経験はまた、他の重要な共同体生活の形が消えゆくなかで、核家族だけが共同体の在り方として過度な特権を与えられてきたことに異議を唱えるものだ」(p.104)。

 

 クイアな人たちの共同体経験から、わたしたちは神の民としての歩み方を学ぶのではないでしょうか。

 

 ところで、著者はLGBTQ差別の克服が最後の課題だと言っているのではありません。「私たちは、異性愛主義が乗り越えるべき最後の偏見であり、現代の公民権問題だとする神話を取り除かねばならない」(p.268)。

 

 むろん、「性的少数者差別反対と言っても、差別はいろいろあるからね、世の中はそんなものだ」などと言っているのでもありません。

 

 「私たちは、数々の抑圧〔性差別、人種差別、階級差別、障害者差別、異性愛主義など〕が持つ相互連関的な性質への理解を深めていく必要がある」(p.269)。

 

 被差別者から学ぶ。被差別者こそ新しい社会の創り手である。LGBTQ差別は「最近の」差別ではなく人種差別、階級差別などと同じ構造を持っている。

 

21世紀以前からの反差別の思想、取り組みに根差した筆致であると思いました。

 

 この感想文での引用個所にも一か所ありましたが、いくつかの誤植を含みながらも、原文の意味をしっかり理解した読みやすい訳文です。

 

 ZOOMなどを使って読書会を開けたらと思いますが、関心ある人は、ご連絡ください。

 

https://emer.base.ec/items/37764403