イエスはたくさんの奇跡を起こしたと聖書は物語っている。しかし、カトリック信者の遠藤周作の描くイエスはそうではない。病人を癒すことはできない。ただ、世の中から見捨てられたその人びとの傍らにじっと寄り添った。それが奇跡だと言う。「おバカさん」はそんなイエスをうつしている。
宮澤賢治は、東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤるようなモノ二ワタシハナリタイとうたった。ヒドリノトキハナミダヲナガシ、サムサノナツハオロオロアルキ、ミンナニデクノボートヨバレ、ホメラレモセズ、クニモサレないようなモノ二。
トルストイは「イワンの馬鹿」を書いた。
そして、重松清さんのこの本に出てくる村内先生。
先生は話すのが下手だ。口数が少ない。だから、大事なことしか言わない。
「熱中先生」「金八先生」「サンキュー先生」。先生モノを慕うぼくは、この先生にも泣かされた。
ぼくに村内先生を紹介してくれたのは、ある本で出会った女子高生だ。偏差値などと言ったら低いのかもしれない。経営者も横暴で良心的な先生たちを押しつぶそうとする。しかし、その先生たちが必死に守った「卒論」の授業。本を読むこと、本に自分の思いを重ねたり汲み取ったりすること、そして、書くこと。小学校から否定され続けてきた生徒が、「卒論」の授業で、自分を受け入れていく。
そんな生徒さんの「卒論」の中に、村内先生がいたのだ。その生徒がいなければ、ぼくは村内先生とは出会えなかった。