須賀敦子さんの名前を初めて聴いたのは、十数年前、精神科医にして思想家とも言うべき中井久夫さんの本の中でだ。中井の絶賛につられて須賀のエッセイ集を読んでみたが、そのときの印象は、中井同様の類まれなる文章家にして教養人、というものだった。
今年、若松英輔さんが「霧の彼方 須賀敦子」を出した。若松の本なら読まずにいられない。これまでの若松のいくつかの評伝と同じように、死者、永遠を須賀から読み掘っている。
ぼくは、須賀の著作そのものを読み直してみたくなった。おもにイタリアで出会った人びとが登場するエッセイ、あるいは小説というか、文学。若松を通して教えられたことは、それは軽妙な小文でもなく、ゆたかな教養文でもなく、死者との対話だということだ。
登場人物は須賀の執筆時点ではこの世の旅を終えている。けれども、須賀の著作の中で、死者は生きている。いや、生き続けている死者との対話を須賀は著したのだった。
「大聖堂が船に似ていることに、私はなぐさめられた」(p.243)。ぼくらが集うのは小さな教会だが、名前に「ふね」がつく。須賀がそう記していることにぼくらはなぐさめられる。生者ばかりでなく死者も集い語り合うふねなのだと思う。