神はどこにいるのでしょうか。
「あなたは自分の屋敷や土地の中に、莫大な宝が隠されているのがわかっていない。思い切って、道具を使い、土地を掘ってみなさい。そうすれば、宝物が見つかるでしょう」(p.21)。
これは本書で引用されている説話に出てくる言葉です。これを信じて土地を一所懸命に掘っていたら、そこは立派な畑になり、植物が良く育ち、ゆたかに実ったとあります。
わたしたちも自分を掘り下げて見つかる莫大な宝に気づいていません。それは神のことです。旧約聖書にはこうあります。「神は御自分にかたどって人を創造された」(創世記1:27)。つまり、人は神と同じ姿を持っているというのです。わたしたちの中の深いところには神がいて、それは「無限の宝」(p.23)だと言うのです。
新約聖書にはこうあります。「たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます」(コリントの信徒への手紙二4:16)。
人間の肉体は衰えますが、人間の「内なる人」は永遠です。「『内なる人』とあるのは、自分の心の深奥にある真実の自己、すなわち神さまのことです」(p.27)と著者は言います。人間が神であるというのではありません。「心の深奥」とは、人間の精神の、というよりは、わたしたちの存在の源泉という意味でしょう。神はそこにいるのです。神がその源泉なのです。
「救いが実感できないのは、神の平和や恵みが外部から訪れると思っているからです。神の平和や喜び、すなわち救いは各人の心の内奥から湧き出てくるものです」(p.88)。
わたしといういのちの、みなもとへと、みなもとへと向かってみませんか。そこには、しずかに、しずかに、神が待っています。わたしたちの救いは、そのしずけさです。